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『家族シアター』 辻村深月 ☆☆☆☆
アンソロジー『バタフライ和文タイプ事務所』収録の「仁志野町の泥棒」がえもいわれぬ味わいがあって印象に残ったため、辻村深月の短編集を入手。「家族シアター」というタイトル通り、家族内の人間関係が収録作すべてのテーマとなっている。つまりホームドラマであり、普段私が読まないタイプの小説である。すべて人間関係の緊張と緩和によってストーリーが転がり、ドラマが成立する仕掛けだ。家族というのは身近な存在であるがゆえに愛憎もディープなわけだが、兄弟、姉妹、親子、祖父と孫など色んな形でのディーブな愛憎を描き出す短編集。基本的には、感情がもつれて憎しみ合うようになっちゃった二人が最後イイ感じにおさまる、というパターンが多い。が、パターンが似通っていても各篇の出来はよい。良質な短篇集だ。テレビドラマのシナリオライター(またはそれを目指している人)には最適の教材なんじゃないだろうか。
この良質さを土台で支えているのは、人間の優しさを描き出すスキルよりもむしろ人間のいやらしさや醜さを的確に描き出すスキルなのではないか。「仁志野町の泥棒」もそうだったが、この著者は人間関係の中にひそむ気持ち悪さを炙り出すのがうまい。表現力以前に人間観察力があるということなのだろうが、そういうところは林真理子にもちょっと似ている。というか、同じことは宮部みゆきや内田春菊にもいえるわけで、これを言うと女性から怒られそうだが、やっぱりこれは女流作家の資質なんじゃないだろうか。もちろん男性作家でも人間のいやらしさを描くのがうまい人はいるが、えてして池井戸潤みたいにストレートに怒りを掻き立てる悪役になるか、あるいは筒井康隆みたいに笑える対象になることが多い気がする。普通の人の中にあるイヤーな部分を気持ち悪くリアルに描けるのは圧倒的に女流作家が多いんじゃないかと思うが、皆さんそう思いませんか?
さて、収録作7篇のうち特に良かったのは「私のディアマンテ」と「タイムカプセルの八年」。それぞれ母親と娘、父親と息子の話である。
「私のディアマンテ」は、最初語り手である母親が妙にバカっぽく、むしろ娘の方がしっかりしていて、大丈夫かこいつと読者に思わせておいて、それをうまく逆手に取って最後にひっくり返してしまう。爽やかな読後感を醸し出すラストがとても効果的だし、読者の気持ちを誘導するスキルは堂に入っている。タイトルもうまい。それから、この中に登場する兄の一家が実にイヤである。いい友達ヅラしているが実は嫌な奴、というのが一番気持ち悪いことがよく分かる。ヒロイン(つまり母親)の夫が控えめながら微妙にかっこいいキャラなのもいいぞ。
「タイムカプセルの八年」も、語り手である父親=大学教授のキャラがいい。家族サービスなんて面倒くさいな、といつも思っていて、しかもそれが態度に出ていて、妻や子供から半分諦められているような父親で、威厳あるオヤジでもすてきなパパでも全然ない。頼まれていたクリスマス・プレゼントも忘れてしまうような、父兄の集まりにも出来る限り参加したくないというようなダメダメな父親。個人的には特に、週末思う存分読書する時間を妨げられたくないという彼の願望にとても共感できる。そんな彼が、子供たちのタイムカプセルにまつわるトラブルである行動を起こすのだが、何でもないようなことに対する彼のこだわりが息子への思いを感じさせ、地味に感動的だ。それからこの短篇にも、いい人に見えて実は怪しい先生が登場する。こういう、人のウラオモテをうまくストーリーに織り込むところがうまい。
他の短篇を押しなべて出来が良く、「孫と誕生日」に出てくるマイペースで頑固なおじいちゃんも良かった。それにしても、この短篇では子供同士の誕生会でどんなプレゼントを持っていくかが問題になるのだが、最近じゃ子供同士でもこんな「空気を読む」ストレスがあるのだろうか。たまらんなあ。おとなの私だってこんな面倒くさいことはごめんだ。この短篇では孫のクラスで人気の中心というクラスメート二人がものすごくイヤである。目の前にいたら無言でひっぱたきたくなる。
ラストの「タマシイム・マシンの永遠」は他の短篇より短い、エピローグ的な一篇である。ちなみに私は知らなかったが、「タマシイム・マシン」とはドラえもんに出てくるアイテムの一つらしい。作者はドラえもんののファンなのかな。一方、アイドルやバンドの追っかけを題材にした「サイリウム」はよく分からなかった。
日常的な人間関係のこじれや修復を扱う小説を久しぶりに読んだ気がするが、こういうのもたまには悪くないですな。
アンソロジー『バタフライ和文タイプ事務所』収録の「仁志野町の泥棒」がえもいわれぬ味わいがあって印象に残ったため、辻村深月の短編集を入手。「家族シアター」というタイトル通り、家族内の人間関係が収録作すべてのテーマとなっている。つまりホームドラマであり、普段私が読まないタイプの小説である。すべて人間関係の緊張と緩和によってストーリーが転がり、ドラマが成立する仕掛けだ。家族というのは身近な存在であるがゆえに愛憎もディープなわけだが、兄弟、姉妹、親子、祖父と孫など色んな形でのディーブな愛憎を描き出す短編集。基本的には、感情がもつれて憎しみ合うようになっちゃった二人が最後イイ感じにおさまる、というパターンが多い。が、パターンが似通っていても各篇の出来はよい。良質な短篇集だ。テレビドラマのシナリオライター(またはそれを目指している人)には最適の教材なんじゃないだろうか。
この良質さを土台で支えているのは、人間の優しさを描き出すスキルよりもむしろ人間のいやらしさや醜さを的確に描き出すスキルなのではないか。「仁志野町の泥棒」もそうだったが、この著者は人間関係の中にひそむ気持ち悪さを炙り出すのがうまい。表現力以前に人間観察力があるということなのだろうが、そういうところは林真理子にもちょっと似ている。というか、同じことは宮部みゆきや内田春菊にもいえるわけで、これを言うと女性から怒られそうだが、やっぱりこれは女流作家の資質なんじゃないだろうか。もちろん男性作家でも人間のいやらしさを描くのがうまい人はいるが、えてして池井戸潤みたいにストレートに怒りを掻き立てる悪役になるか、あるいは筒井康隆みたいに笑える対象になることが多い気がする。普通の人の中にあるイヤーな部分を気持ち悪くリアルに描けるのは圧倒的に女流作家が多いんじゃないかと思うが、皆さんそう思いませんか?
さて、収録作7篇のうち特に良かったのは「私のディアマンテ」と「タイムカプセルの八年」。それぞれ母親と娘、父親と息子の話である。
「私のディアマンテ」は、最初語り手である母親が妙にバカっぽく、むしろ娘の方がしっかりしていて、大丈夫かこいつと読者に思わせておいて、それをうまく逆手に取って最後にひっくり返してしまう。爽やかな読後感を醸し出すラストがとても効果的だし、読者の気持ちを誘導するスキルは堂に入っている。タイトルもうまい。それから、この中に登場する兄の一家が実にイヤである。いい友達ヅラしているが実は嫌な奴、というのが一番気持ち悪いことがよく分かる。ヒロイン(つまり母親)の夫が控えめながら微妙にかっこいいキャラなのもいいぞ。
「タイムカプセルの八年」も、語り手である父親=大学教授のキャラがいい。家族サービスなんて面倒くさいな、といつも思っていて、しかもそれが態度に出ていて、妻や子供から半分諦められているような父親で、威厳あるオヤジでもすてきなパパでも全然ない。頼まれていたクリスマス・プレゼントも忘れてしまうような、父兄の集まりにも出来る限り参加したくないというようなダメダメな父親。個人的には特に、週末思う存分読書する時間を妨げられたくないという彼の願望にとても共感できる。そんな彼が、子供たちのタイムカプセルにまつわるトラブルである行動を起こすのだが、何でもないようなことに対する彼のこだわりが息子への思いを感じさせ、地味に感動的だ。それからこの短篇にも、いい人に見えて実は怪しい先生が登場する。こういう、人のウラオモテをうまくストーリーに織り込むところがうまい。
他の短篇を押しなべて出来が良く、「孫と誕生日」に出てくるマイペースで頑固なおじいちゃんも良かった。それにしても、この短篇では子供同士の誕生会でどんなプレゼントを持っていくかが問題になるのだが、最近じゃ子供同士でもこんな「空気を読む」ストレスがあるのだろうか。たまらんなあ。おとなの私だってこんな面倒くさいことはごめんだ。この短篇では孫のクラスで人気の中心というクラスメート二人がものすごくイヤである。目の前にいたら無言でひっぱたきたくなる。
ラストの「タマシイム・マシンの永遠」は他の短篇より短い、エピローグ的な一篇である。ちなみに私は知らなかったが、「タマシイム・マシン」とはドラえもんに出てくるアイテムの一つらしい。作者はドラえもんののファンなのかな。一方、アイドルやバンドの追っかけを題材にした「サイリウム」はよく分からなかった。
日常的な人間関係のこじれや修復を扱う小説を久しぶりに読んだ気がするが、こういうのもたまには悪くないですな。
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