アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ヴェネツィア―水の迷宮の夢

2006-01-23 22:23:23 | 
『ヴェネツィア―水の迷宮の夢』 ヨシフ・ブロツキー   ☆☆☆☆☆

 随分前に買って斜め読みしていた本をじっくり再読。これは美しい本である。といっても、普通の小説のようなプロットはない。詩人が書いた、ヴェネツィアに関する夢想と瞑想の数々があるだけだ。散文詩的な小説である。

 実際に作者は何度もヴェネツィアを訪れているそうだし、あとがきで訳者は「一種の日記文学といえる」と書いているが、まあそれはそうなんだろう。しかし十二月の寒い晩、「ぼく」が駅舎のバーで「超美人」を待つ冒頭からして濃厚に虚構の匂いが漂っている。事実か作り事かは別にして、この人の文章は常に靄のような虚構性ですべてを包んでしまう。現実を題材にしているにしても、詩人の夢想と文章の力で現実が詩に転化されているのだ。だから「日記文学」という言葉からにおってくる味気ない日常性はかけらもない。幻想文学といってもいいぐらいだ。

 ヴェネツィアというこの美しい都市をめぐる瞑想的なエッセー風の文章が多いが、ところどころで唐突に小説的な散文が現れ、その唐突さと自在さが非常に気持ちいい。といってもそういう部分は少なくて、最初の「超美人」の話、ある館のパーティーに招かれる話、スーザン・ソンタグと一緒にエズラ・パウンドの元愛人を訪ねる話、ゴンドラに乗る話、霧の中に幻を見る話、ぐらいしか私は覚えていない。しかし最初の「超美人」の話は実に印象的で、この小説全体をキリリと引き締めている。この話があるから小説全体が夢幻的な、豪奢な虚構性を獲得していると思う。これがもっとエッセー風に始まっていたら全体の印象はだいぶ変わってくるんじゃないか。

 この人の文章はなんとなくアントニオ・タブッキを思わせる。まがりくねった、瞑想的な、人をはぐらかすようなレトリックがそう思わせるのかも知れないし、そのゆったりしたテンポが似ているのかも知れない。散文詩的な文章の浮遊感も似ている。そういえば、旅行記という書物の体裁もタブッキ的だ。無論違うところもある。この人にはかなりシニカルなところがあり、時々ある種の人やもの、例えば美観を破壊する建築物や美を理解しない人間とか、に対して辛辣な言葉を浴びせたりする。

 瞑想的な文章の中のあちこちに美しいイメージや観念が幻のように浮かび上がり、それが読んでいて快感である。私が好きなのは、ホテルの鏡、ヴェネツィアを舞台にした『田園娯楽小説』、ヴェネツィアでの死、目が体を支配するという観念、すべてを消し去ってしまう霧、架空の友人、架空の映画、死刑執行場面の写真、などについての文章である。そしてそれらすべての舞台として描き出される幻のようなヴェネツィアの壮麗さ。うーん、美しい。


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