アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

グリーン家殺人事件

2011-09-05 18:44:33 | 
『グリーン家殺人事件』 ヴァン・ダイン   ☆☆☆★

 私的「黄金時代の海外本格ミステリを読む」シリーズはまだまだ続き、ついに中学生の頃に読んだきりだったヴァン・ダインにまで手を伸ばしてしまった。ヴァン・ダインはエラリー・クイーンよりちょい前のアメリカの推理作家で、いってみれば黄金時代ミステリのフォーマットを確立した張本人だ。彼が創造した名探偵はファイロ・ヴァンスという。

 このファイロ・ヴァンスはいわゆる「神の如き名探偵」の原型的キャラで、アメリカにそんなのがいたのかよく分からないが「貴族」であり、食うために働く必要がなく、美術や古典文学や心理学にやたら造詣が深く、余暇には趣味的な研究などにいそしんでいるという優雅な高等遊民である。性格は皮肉屋で常に斜に構え、正直者である友人のマーカム検事をからかってばかりいる。もちろん、何かといえばペダントリーをひけらかす。それでいておいしいところは一人でさらっていく。実にイヤな奴で、こんなのが身近にいたらうざくて仕方がないと思われる。

 記述は一人称で、記述者はヴァンスの顧問弁護士であるヴァン・ダインということになっている。ちなみにこのヴァン・ダイン、存在感というものがまったくなく、どこにでもついていくくせにほとんど発言せず、誰からも話しかけられないという透明人間のような男である。史上最高に存在感のないワトソン役だ。というか、ヴァンスと事件を論じたり質問したりするのは大体マーカム検事なので、実質のワトソン役はマーカム検事と言っていいだろう。

 さて、そういうファイロ・ヴァンス・シリーズのこれは三作目で、四作目の『僧正殺人事件』と並んでヴァン・ダインの最高傑作と言われている。グリーン家という金持ちの、奇矯な、憎しみに満ちた家族の中で連続殺人が起きるという、いってみれば「館もの」の古典的作品である。クイーンの『Yの悲劇』はこれを意識して書かれたと言われている。

 特徴としては全体に漂う陰惨なスリル、不吉な暗い情緒ということになるだろう。そういうところも『Yの悲劇』と似ている。ただし『Yの悲劇』が狂気じみた事件のディテールで不安感を亢進させるのに対し、本書の殺人方法は射殺や毒殺で、まあ普通である。雰囲気作りはもっぱら語り口調によって行われる。「陰惨な」とか「不吉な底流」云々という語彙が頻出し、レトリックによるムード喚起に頼っている。そういうところはやはり、クイーンより一時代前のミステリという感じがする。犯人や犯行方法、トリックも今となっては大したことないものばかりだ。それはまあ、時代を考えれば仕方がないだろう。

 私の最大の不満は、やはり謎解きにロジックがないことである。ファイロ・ヴァンスはいきなり犯人を指名し、その人物がどうやって犯行を行ったかを見てきてかの如くに説明する。なぜそれが分かったのか、その根拠はまったく説明されない。これも時代を考えれば仕方がないといいたいところだが、推理小説を最初に書いたエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」「マリー・ロジェの謎」「盗まれた手紙」がロジックの快感に満ち溢れていることを考えると、もう少し厳しい評価をさせてもらっていいだろう。このブログで何度も書いていることだが、ロジック不在のミステリは面白くない。

 それからファイロ・ヴァンスは謎解きの際、犯人はこういうトリックを使ったと説明したあとで、推理に説得力を持たせるために過去の犯罪例をあれこれ引用する。つまりペダントリーをひけらかすことで推理を補強する。これも、ある意味小説を高尚に、知的に見せる効果はあるかも知れないが、手法としては古さを感じてしまう。

 まあそんなこんなで、今読むと古さは否めず、色々と不満もあるが、重厚でペダンティックなこの時代の推理小説の雰囲気は味わえる。現代のミステリと同列に比べさえしなければ、まだまだ読む価値はあると思った。
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿