アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

お早よう

2009-08-15 10:45:57 | 映画
『お早よう』 小津安二郎監督   ☆☆☆☆☆

 CriterionのDVDを購入して鑑賞。邦題は『お早よう』、英語のタイトルは『Good Morning』。なんという人を喰った、気合の入らないタイトルだろうか。どうでもいいけど昔日本の深夜番組で『Good Morning』というのがあり、例によってお色気とばかばかしいコントをいい加減にまぜたようなふざけた番組だったが、私の友達連中は(私も含め)結構見ていた。それもあるせいかこの『Good Morning』というタイトルが私には必要以上にふざけたものに思えるのであって、DVDショップでCriterionコレクションに入っているのを昔から見かけて知っていたがまったく観る気が起きなかったのだ。テレビの中に子供の顔が見えるこのジャケットも、安っぽくて手を伸ばす気になれない。

 最近小津映画を観るようになり、これも傑作という噂を聞いてついに購入した。『お早よう』。映画が始まるとタイトルもこの通り「お早よう」と出る。背後に流れるのは妙に陽気な、人を小ばかにしたような音楽である。本当にこんな映画が面白いんだろうか、と疑いながら観ていると最初のシーンで中学生が三人登場し、わざとおならをして得意げになっている。うち一人はおならを出そうとしてミが出てしまい、泣きべそをかく。なんというアホな映画だろうか。

 あきれながら観ていると建売住宅の主婦連中が喋っている。婦人会の会費をとっくに出したのに会長さんのところにまだ届いていない、といいながら「お隣、最近洗濯機買ったでしょう」「でもまさか」「でもねえ、会費まだ届いてないっていうから」

 それから押し売りがやってくる。「おう、鉛筆買ってくれよ」脅すつもりか、ナイフを取り出して鉛筆を削り始める。対応に出たおばあちゃんが言う。「私にも削らせておくれ」そして台所からものすごくでかい肉きり包丁を持ってくる。「よく切れるねえ」押し売りは黙って出て行く。

 このあたりまで観るともう目が離せなくなっている。あとは最後まで時間を忘れて見入ってしまった。小津監督に見事なコメディ・センスがあることはこれまでの映画で分かっていたが、それが最高の形で発揮されている。今まで観た中で一番コミカルな、とんでもなくとぼけた映画である。

 これもやはり子供をまじえたホームドラマであり、土手の下に密集して立てられたおもちゃ箱のような住宅地が舞台となっている。家の玄関や勝手口はお互いに近接し、隣の家の中は丸見え、出たり入ったりもお互いにほぼ自由である。ドアを開けて家の中に入ってきてから「奥さん、いる?」のどかなものだ。ちょっと前の日本はこれが普通だったのだろうか。まるで近所の人たちがみんな大家族のようだ。これぞ共同体である。

 まあともかく、そういう住宅地を舞台に色んなエピソードが繰り広げられる。婦人会の会費騒動や押し売りをはじめ、テレビの購入、子供たちの「口をきかない」レジスタンス、行方不明。定年退職。そして英語の先生と節子さんのほのかな恋物語。

 子供のおならも重要なエピソードである。子供たちはおならを自由に出せるようになるために軽石を削って毎日粉を食べる。子供たちはガス会社に勤めている近所のおじさんを尊敬している。おなら名人だからだ。おじさんがネクタイをしめながらおならをすると、おばさんが「呼んだ?」と言って部屋に入ってくる。「いいや」「ああそう」しばらくするとまたおなら。またおばさん来る。「呼んだ?」

 子供たちは英語塾の先生に「腹の中に石がたまって死ぬぞ」と脅されて軽石を食べるのをやめるが、ちょうどその頃親たちも軽石を話題にしている。「なんだかとっても減るのよ。ねずみかしら」「ねずみは軽石食べんだろう」「今度ネコイラズ塗っといてみようかしら」

 子供たちはテレビを買ってもらえないのでひがみ、口を利かなくなる。学校でも口を利かないので、先生にも叱られる。小さい方の子供は口をきくときはタンマのサインを出せと兄に言われているので、先生にもタンマのサインを出す。「何?何なの?」また無言でタンマのサイン。「どうしたの?何を言いたいの?」爆笑。
 学校に給食費を持っていかなくちゃならない子供たちは、口をきかないまま親から給食費をもらおうとしてゼスチャーで伝えようとする。さんざん苦労して「給食費ちょうだい」と伝えたつもりが、「分かったわ。学校が火事になって消防署の人に消してもらって、お礼にお茶をごちそうしたのね」

 いやー笑った笑った。とにかく笑える映画だ。

 で、なんでこれが『お早よう』なのかというと、余計な口をきくなと叱られた子供が、おとなだってむだなことばかり言ってるじゃないか、おはようとか、いいお天気ですねとか、と反論するところから来ている。英語塾の先生とお母さんはそれを話題にしてひとしきり笑ったあとで、「でも、そういう無駄なことが、案外大事なんじゃないかな。人間社会においてはね」「そうね。それでそういう無駄なことばかり言うくせに、大事なことは言えないのね」

 映画の終盤、英語の先生は密かに思いを寄せる節子さんと駅で一緒になり、それを地で行ってみせる。「いい天気ですね」「そうですね」「いやあ、本当にいい天気ですね」「そうね」「それにしてもいい天気ですね」笑えると同時に、心のどこかが暖かくなる。この映画が単なるお笑い映画でないのはこういう場面があるからである。

 先にこの近所つきあいを大家族、共同体と書いたが、この映画は必ずしも共同体礼賛映画ではなく、近所の噂に辟易したカップルが引っ越していく、なんて描写もある。それから東野英治郎演じる近所のおじさんの定年退職のエピソードで人生の苦さも滲ませる(『秋刀魚の味』もそうだったが、東野栄治郎は小津映画ではこういう役が多いな)。とぼけた笑いで全篇を包みながら、小津映画ならではの奥深さもちゃんと持ち合わせているという、なかなか油断できない映画である。


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