『アメリカ銃の秘密』 エラリー・クイーン ☆☆
国名シリーズ第六作目『アメリカ銃の秘密』を再読。1933年発表。傑作『エジプト十字架の秘密』の次である。ちなみに1932年にクイーンが発表した作品は、『ギリシャ棺の秘密』『エジプト十字架の秘密』『Xの悲劇』『Yの悲劇』の四作品。驚異的としかいいようがない創作力で、『エジプト十字架の秘密』の記事にも書いた通りこの年がクイーンの絶頂期であったことは間違いないが、残念ながら翌年1933年から作品のクオリティは下降線を辿り始める。
この『アメリカ銃の秘密』は国名シリーズの中でもひときわ地味な作品で、私も中学生の頃に一度読んだきり。今回読み返したのが二度目だが、内容はまったく覚えていなかった。事件は、ブロードウェイで開催された大規模なロデオ・ショーの最中に騎手が射殺されるというもの。ショーの出演者と数万人の観客全員が身体検査をされ、劇場中くまなく捜索されたにもかかわらず凶器の銃が見つからない。『ローマ帽子の秘密』におけるシルクハットの消失と同じ趣向である。しばらくの閉鎖後、二回目のロデオ・ショーが行われ、そこでまた同じように別の騎手が射殺されてしまう。同じ銃、同じ状況である。そしてまたしても、凶器の銃は見つからない。
例によって「読者への挑戦」の後エラリーの謎解きとなるが、これがあまりパッとしない。まず、手がかりがあまりにも瑣末過ぎる。いつも通りのきわめて物理的な手がかりなのだが、読者がこれに気づくには山のような視覚的描写のディテールをすべて記憶し、その中から二つの微細な事実を結びつけなくてはならない。無理である。エラリーの説明を聞いても「おお、そういえばそうだった!」となる人は皆無だろう。だから快刀乱麻を断つ快感がない。たとえば『ギリシャ棺』ではカップについた紅茶の染みという些細な手がかりからエラリーが論理的推理を展開するが、この時は事前に、エラリーが紅茶の染みに着目するという描写がある。だからあとで「なるほど!」となるのだが、本書ではそうならない。
それから二つ目、トリックがさすがに非現実的である。いくらなんでもこれはバレるはずだし、またこういう特殊な事情があったことを伏せておくのはフェアではないだろう。本書の解説で訳者はこれを実験と呼んでいて、要するに従来の「フェア」の考え方の裏をかいているということだが、だとすれば、作者の意図がうまく読者の「驚き」に繋がる工夫がなされているとは言いがたい。
銃が見つからないという不可能興味についてはまあ、なるほどねという感じである。結果的に犯人の動機が分からないのも不完全燃焼感を募らせる。そんなわけで印象に残る部分がほとんどない、地味な作品となってしまった。あえて言えば、手がかりは瑣末だけれども推理の組み立てはこの時期のクイーンらしく精緻かつロジカルだ。特に、金庫から盗まれた一万ドルに関する推理は悪くない。
とはいえ、クイーンの良さを味わうにはやはり不十分な出来である。国名シリーズを全部読もうという人以外、読む必要はないと思う。
国名シリーズ第六作目『アメリカ銃の秘密』を再読。1933年発表。傑作『エジプト十字架の秘密』の次である。ちなみに1932年にクイーンが発表した作品は、『ギリシャ棺の秘密』『エジプト十字架の秘密』『Xの悲劇』『Yの悲劇』の四作品。驚異的としかいいようがない創作力で、『エジプト十字架の秘密』の記事にも書いた通りこの年がクイーンの絶頂期であったことは間違いないが、残念ながら翌年1933年から作品のクオリティは下降線を辿り始める。
この『アメリカ銃の秘密』は国名シリーズの中でもひときわ地味な作品で、私も中学生の頃に一度読んだきり。今回読み返したのが二度目だが、内容はまったく覚えていなかった。事件は、ブロードウェイで開催された大規模なロデオ・ショーの最中に騎手が射殺されるというもの。ショーの出演者と数万人の観客全員が身体検査をされ、劇場中くまなく捜索されたにもかかわらず凶器の銃が見つからない。『ローマ帽子の秘密』におけるシルクハットの消失と同じ趣向である。しばらくの閉鎖後、二回目のロデオ・ショーが行われ、そこでまた同じように別の騎手が射殺されてしまう。同じ銃、同じ状況である。そしてまたしても、凶器の銃は見つからない。
例によって「読者への挑戦」の後エラリーの謎解きとなるが、これがあまりパッとしない。まず、手がかりがあまりにも瑣末過ぎる。いつも通りのきわめて物理的な手がかりなのだが、読者がこれに気づくには山のような視覚的描写のディテールをすべて記憶し、その中から二つの微細な事実を結びつけなくてはならない。無理である。エラリーの説明を聞いても「おお、そういえばそうだった!」となる人は皆無だろう。だから快刀乱麻を断つ快感がない。たとえば『ギリシャ棺』ではカップについた紅茶の染みという些細な手がかりからエラリーが論理的推理を展開するが、この時は事前に、エラリーが紅茶の染みに着目するという描写がある。だからあとで「なるほど!」となるのだが、本書ではそうならない。
それから二つ目、トリックがさすがに非現実的である。いくらなんでもこれはバレるはずだし、またこういう特殊な事情があったことを伏せておくのはフェアではないだろう。本書の解説で訳者はこれを実験と呼んでいて、要するに従来の「フェア」の考え方の裏をかいているということだが、だとすれば、作者の意図がうまく読者の「驚き」に繋がる工夫がなされているとは言いがたい。
銃が見つからないという不可能興味についてはまあ、なるほどねという感じである。結果的に犯人の動機が分からないのも不完全燃焼感を募らせる。そんなわけで印象に残る部分がほとんどない、地味な作品となってしまった。あえて言えば、手がかりは瑣末だけれども推理の組み立てはこの時期のクイーンらしく精緻かつロジカルだ。特に、金庫から盗まれた一万ドルに関する推理は悪くない。
とはいえ、クイーンの良さを味わうにはやはり不十分な出来である。国名シリーズを全部読もうという人以外、読む必要はないと思う。
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