崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

Ghosn

2018年12月22日 06時21分57秒 | 日記

 政治や宗教などには禁忌や自粛がある。ゴーン氏に関することだけではなく韓国の徴用工と関連して憂いがあり触れたくなる。それだけではなく、私の体験から脅迫さえ感じている。民主主義国家では法は国民によって創られる。国民とは民俗、風習、習慣、慣習、文化によって制度と法律が創られる。その運用は厳格、かつ正しくすることは言うまでもない。司法運用が民衆に向かって丁寧に謙遜に行われなければならない。今韓国と日本の司法の運営は異様な感がしてならない。
 私は1980年代韓国の啓明大学で教授として在職していた時、日本人の妻を連れて何度も出入国管理局に行って「この人が私の妻である」というと官吏は「妻であることをどう証明するのか」といわれた。謄本と実物で証明のために往来、クレームを言った。その後家内に当時3.500.000ウォンの罰金の通知が届いた主婦に日本語を教えたことが違反だという罰金であった。法律的には正しい運用だっだろう。入管長様の「けしからん」の運用であったことは明確であった。また仲裁する人が現われ夕食会を開き、もてなさなければならなかった。それでも罰金を払った。日本の今の再逮捕件をみて、それを思い出す。