崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

クリスマス音楽礼拝

2018年12月10日 05時55分26秒 | 日記

 前日シャーマンの歌と哭きの話をしたが、昨夜はキリスト教の雰囲気に囲まれた。宇部教会で行われた在日キリスト教会でのクリスマス音楽礼拝に出席した。シャーマニズムとキリスト教の両方とも韓国の「乱場난장」のクライマックス雰囲気であった。クリスマスといえば日本では非クリスチャン、商業一般人の行事であるが、昨日の音楽礼拝はキリスト教の信仰文化であった。
 主日礼拝では金成彦牧師が処女マリアのイエス誕生に触れた。古くは文化人類学では論争のあった有名な研究がある。彼は性交誕生とは違う神の決定によるものとして進行すべきだと語った。神の決定、それは韓国語점지하다「授ける」という適語がある。私は母から岳山の山神霊に授かったとよく言われた。生命の誕生を性交によるものと思うのは幼稚な段階、熟考すべき話である。
 その説教の牧師中心の下関教会のメンバーが西南地域の音楽礼拝で登場した。折尾教会のYABEインタビューのコミックの後の雰囲気の中で乱場を起こした。変装で(?)の7人グループのダンスがニュースターとして脚光を浴びた。本当のクリスマス祝祭であった。
 私はシャーマニズムからキリスト教へ、日韓の反日と親日など曖昧な瀬戸際を行き来しての人生である。誤解されるのは当たり前。