崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「老人六歌仙」

2018年12月05日 05時44分32秒 | 講義

  2018年12月3日アジア共同体講座のアジアの仏教」で京都大学の名誉教授の有福孝岳氏が「生老病死の哲学」を講義された。打ち合わせ時間に現れず時間が押し迫って代講まで考えていた時来られた。それはメールは送ってもそれを読んでおられなかったことによることであった。生児の初泣き、生き方、六道輪廻転生、避けられない死、悔いのない人生などレジュメと講義は楽しかった。「講演要旨」には仙崖の「老人六歌仙」が紹介されている。老人とは「淋しがる、出しゃばる、同じ話、自慢する」と書かれ、言われた。一般的に<自慢話、長く、繰り返す>という俗語を気にしながら聞いたが楽しかった。ハイデガーや西田哲学に触れて「非連続の連続」が語られた。断絶の連続のように思われる。私が簡単に要約し、戦前と戦後は連続するのか、質問した。 受講生の中から手が上がった。ネパールからの留学生であった。釈迦はインド生まれたのではなくネパールで生まれたと大きな声で主張した。