崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

日陰と御蔭

2014年10月04日 04時30分33秒 | エッセイ
 新宿の通りを歩いた。せっかくの秋晴れなのに日差しが強い。友人の北村皆雄・三浦庸子氏らのビジュアルフォークロアへ向かって歩く。引っ越した新しい事務所を訪問するのは初めて。交番などで道を聞く。交番の様子も変わっている。今はナビゲーターなどが流行り道を訪ねる人も少ないのだろうか、警察も暇の様子で親切に教えてくれる。日差しを避け日陰の有り難さを感じた。なるほど御蔭様の「御蔭」の意味が分かる。今北村氏らは韓国のシャーマニズムの記録映画完成に向けて作業中とのこと、お陰様であると思いながら歩いて行くと彼は外に出て迎えてくれた。懐かしい顔がいっぱいの事務室。日本の名峯撮影、その他の計画中の話で盛り上がった。偶然の一致というか私が関心をもっているビルマの慰安所の話が現在のミャンマーの少数民族の調査と繋がって、話はより増幅された。早めに昼食をご馳走になって新幹線で帰宅。新幹線のなかでは原稿校正、帰宅は夜になった。こんなに疲れた状態を韓国語でネギキムチになったという。しかしこの解放感と嬉しさ、しみじみ幸せである。
 高齢になって急ぐ人がいる。おそらく余生の時間を有効に使おうとするのだろう。私の耳に強く残っているシャーマンの歌の一句がある。「早く行きましょう」というあの世へ誘導する使者の催促の言葉である。御嶽山の噴火で若い人も多く亡くなった。心痛い。若い人も余生を考える生き方が必要である。人生は長短にかかわらず始まりとエンディングがある。その中身を作るのは主人公のそれぞれの個人であろう。日陰に立ってお陰様を考えたことが心にのこる。
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿