崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

祖国の悲劇

2012年04月15日 05時22分02秒 | エッセイ
 
今日は4月15日北朝鮮の金日成誕生100周年の日である。戦前の軍国主義日本の天長節の伝統であろうか。日本は天皇の誕生日を改名して残してるがその伝統は切れた。韓国でも李承晩大統領の誕生日が3月26日であり、盛大な行事に「我が大統領」を歌ったことを覚えている。誰の誕生日でも祝ってあげるのは社会の礼儀であるが、その気持ちはない。それは独裁政権を維持するためのカリスマ形成に過ぎないからである。
 シリアの独裁ががたがたである中に北朝鮮では「独裁三代」の態勢に固まり、父に「永遠なる総書記」などの称号付与、最高権力の名称を蓮日自ら付ける度に国民は熱烈なエクスタシー、その絶頂が今日でろう。ヒトラーの映像を見るような今日、極めて異様な状況である。「祝砲」が「誤発弾」になったのは重要な予兆かもしれない。三代目になってカリスマ独裁を続けるのは無理であろう。むしろ南米の指導者や朴大統領の開発独裁に学ぶべきであろう。朴大統領は誕生日に家族と質素な食事をしたというニュースが国民を感動させたことを憶えている。「禁止された祖国」(forbidden country)の悲劇を見る毎日、辛い日である。(写真、上金日成、下李承晩の誕生日)

北朝鮮の危険な火遊び

2012年04月14日 05時45分18秒 | エッセイ
 
昨日北朝鮮のミサイル発射について韓国、日本、Newyork Times などのニュースを注視してみた。日本は大げさに騒ぎ、PAC3配置などをしても発射映像を撮ることはしなかったのか、見せなかった。ただ韓国のイ―ジス艦「世宗大王号」が発射54秒後から全過程を見て確認することができた。軍事的には撮っても発表しないこともあるが、日本はそうでもなさそうである。発射された球でも命中できるという国民の期待は外れて大いに失望した。韓国より遠いとはいえども確定された地点の偵察ができなかったことは軍事としては無能力に近いと思う。しかし政府の対応が遅かったことには厳しく非難一色であるのを聞きながら正面突破ではなく正鵠人を非難する「噂話の文化」と感じる。日米安保云々と偵察能力もないことは言い訳であろう。私はカメラの先端技術がドイツのライカを超えたと信じたが、今度日本の技術能力への不信感は国防問題「以上の異常」であると失望した。
 防衛大臣にいじめのような国会尋問(?)ばかりして、科学的な情報収集能力は全くないと感じた。発射状況を遅れて報告したとか、政府を非難するだけが精一杯である。これから煩く当分間続くだろう。あんな報告遅れの話より隣国の「危険な火遊び」「誤発弾」に対応する技術と外交を論じてほしい。北朝鮮の「祝砲」は危険な火遊びである。花火へ変えてくだることを忠告したい。貧国の子供の火遊びを止めさせるのは「脅迫と外交」しかない。


サプライズ、嬉しく、困る

2012年04月13日 05時35分12秒 | エッセイ
昨日は4月12日北朝鮮のミサイル発射の予告日、北朝鮮では国を挙げての「祝砲」、それに似た韓国や日本での緊張の日であった。私ごとでは家内の誕生日、朝、家内が犬と散歩に出た時、私がわかめスープを作った。ワカメは韓国の私の姉が家内の誕生日祝いで送ってくれたものである。韓国では出産や誕生日にはわかめスープを飲み、食べる習慣がある。それを見て家内はサプライズ、喜んだ。教会や友人、知人からプレゼントも届いた。私の誕生日に比べて粗末な感じがあり申し訳なかったが、これからは家内の方が盛況になりそうな予兆がする。
 最近の講義は小規模化して数人で研究室で行うようになっており、そのつもりで準備しているのに学生がたった二人、「日本思想史」という講義が難しく思われると感じていた。しかし他の教室に20数名が待っているのに気がついて驚いた。また韓国と中国の留学生、日本人の学生がほぼ均等数集まっている。急に3つの国の言葉が飛びかうので教室は国際的雰囲気いっぱい。先日中国で5カ国の言語が飛びかう国際会議に参加した時に彷彿。サプライズ、嬉しく、困る。吉田松陰、伊藤博文、高杉晋作などについて講義していくつもりである。

朴槿恵、韓国総選挙

2012年04月12日 05時19分35秒 | エッセイ

韓国の総選挙は12月の大統領選挙への予想として位置づけられている。その選挙で朴槿恵がリードするセヌリ党が優位、特に慶北地域では圧勝し、彼女の大統領への展望は明るくなった。大統領選が面白くなりそうである。韓国歴史上女性が初大統領になればという期待も大きい。私は朴大統領婦人が暗殺されてその少女期に母の役割、また朴氏が暗殺されて悲劇の現場に立っていて、政治の大混乱期を経て来た人であり、私には悲劇の主人公のような存在であると感じられる。
 軍事独裁政権の時代は過ぎ、民主化が進み朴槿恵が政治的に名前が流れることがあったが、政治の表面にはなかなか積極的に現れず失言や失敗の少ない政治家に成熟してきた。
 彼女は二つの面で強い。一つは父と母が暗殺されており、恨が後ろ楯になっているであろうことともう一つは彼女の信念と穏健な人品であることである。政治政党のための政治家ではなく、ただ生きている背景と生活がそのまま政治家になったような人であろう。私は陸軍士官学校の教官時代に数回近くでおみかけした彼女の母、当時大統領の夫人の印象とオーバーラップする。善徳女王のような女性大統領を見たいのは韓国の世論でもある。北では三代続きの独裁者がヒトラーの現れの初期の雰囲気の中、ミサイル発射という通告中、韓国の総選挙は平穏な革命を予想させている。



「女性宮家」を反対

2012年04月11日 05時44分27秒 | エッセイ
 女性皇族がご結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」の創設に有識者のヒアリングが行われている。その伝統は日本文化のもっとも骨格的なものであり、慎重にする必要があろう。文化人類学や社会学などは半世紀以上親族、家族に関する研究が集中しており、今もその研究は盛んな方である。世界的に広く父系制と母系制、また両系制の社会がある。それはそれぞれの社会の重要なルールとも言える。車や人の道路の右側通行あるいは、左側通行のような規則である。それを右通行、左通行を同時にすることはできない。それは右を優先するから左を差別することではない。差別の傾向がある社会では男女差別になることがあっても根本的には別の問題である。夫婦別姓も同様である。父系単系による「男系男子」制度を「父系女子」「女系女子」に広げるということになる。これらの学界の常識を踏まえた上で論じているのだろうか。ジャーナリストなど「有識者」とは誰なのだろうか。このような学問の成果をどこまで参考にしているか。懸念がある。
 そもそもなぜこの議論が始まったのだろうか。皇族の血統では男子が足りなくなるというところからであろう。次男系の男子がいる。血統は探せば無限につながっている。韓国の李王朝の25代の哲宗は血統により江華島の百姓から王になった例もある。今日本でそれに時代の変化、男女平等、皇族を広げる等々理由づけ、理屈、正当化を用意しながら政府主導で行っている。私には李王朝の話のように聞こえる。この論理を極端に尊重するなら天皇も選挙で選んでも良い。もう少し極端に言うと天皇制を無くしても良いのではないか。私は戦前の国家神道の専制国家の被害を知らないわけではない。しかしいわば「象徴天皇」の機能も大きいことを認めざるを得ない。私は「有識者」ではなく、ただの「識者」として現在の制度を守ることを提言したい。

「取材に規制はない」

2012年04月10日 04時41分32秒 | エッセイ
北朝鮮が一部海外メディアや専門家に人工衛星の発射場を公開した。私は発射台の映像を見てどこにそんな力があるのか信じられない。電力と油がなく、アパートのエレベーターや車が作動しないのに巨大な人工衛星の発射が成功するのだろうか、心配にもなる。参加した記者のインタビューで「取材に規制はなかった」という。意外であると感ずる人が多いだろう。しかし私の訪問の経験からも「規制がない」ことにはある程度納得する。厳しい鎖国のような北朝鮮で思いのほか取材の規制がないとは言うが、政治的に取材が難しいのは事実であろうが、一般に写真を撮るには規制がない国である。私が訪問した時出発する前の事前説明会での厳しい規制の話とは非常に異なった自由を感じた。また北朝鮮でアリラン祝祭をみた。数万人のカードセクションも観た。人を動員するのが非難されている。日本でもスポーツの応援団のマスゲームなどと北朝鮮のものが似ている。その動員、規制などの社会活動の中における自由と人権の質が問題であろう。 
 肖像権、著作権などの規制は日本がもっとも厳しい。取材しても変声やボケ画像、匿名が多くて正確な報道が難しい。私は数年前に那覇で行われた日本映像民俗学の会で、1973年ころ私が沖縄宮古島で洗骨葬を撮った写真を初公開した。映画、映像の研究会での発表であるにもかかわらず沖縄地元のある有名な学者が「死者の人権」云々と反発した。私の代わりに他の研究者たちによって反論された。極端に言うと遺骨(死者の人権?)を研究する考古学も存立できないかもしれない。数日前中国広州で墓の中に入ってみて遺品を展示している博物館を廻った。バランスの取れた人権、死者権を考えなければならない。

「内外」の習俗

2012年04月09日 05時15分19秒 | エッセイ
 
例年のように民団の花見に誘われて参加した。復活祭の行事に参加して花見には途中参加になり、すでに少女たちによって韓国の楽器、杖鼓、小鉦などを叩き、民謡が流れた。夫人たちが立って踊っていた。7,80人のなか女性が3分の2ほどである。毎年座る位置も決まっているが、男性と女性が分離されている。入口のメイン席には民団の顧問や団長など役員、女性グループの中ほどが婦人会の顧問や会長の席になっている。男性と女性は分離されているのが目立つ。これは韓国・朝鮮文化の「内外」の習俗である。つまり伝統的に男女が「回避」する習慣である。男女でも夫婦の親同士、兄弟の妻との関係は回避がもっとも強い。
 私は留学した時藤沢民団でアルバイトをしたことがある。その時結婚式などで「内外」を強く感じたが、今はかなり薄くなったが形式的には古い伝統が守られている。ヨーロッパなどでは性的分離があまりなかったがキリスト教が一般化するにつれて学校などで女子学校とかトイレも男女分離するようになったそうである。儒教文化では男女分離は厳格であった。韓国の両班住宅では男女の空間は塀によって分離されている。下関の梅光女学院が百数十年の歴史を破って男女共学に変え、今年度から共学になって男子学生が入学したと報じられている。長いキリスト教の伝統が変わったのである。トイレや銭湯も性別がなくなる時期が来るかもしれない。このような男女の性的分離、回避avoidance習俗は女性差別ではない。ラッドクリフ・ブラウンの研究が有名である。

復活とは

2012年04月08日 05時10分02秒 | エッセイ
 今日はイースター、復活節である。キリスト教において二大祝祭、クリスマスと一対になっているものである。イエスがユダヤ人とローマ政府によって棘冠を被せられ、十字架を背負わされゴルゴダの丘まで引っ張られ、十字架に釘付けられ犠牲になってから生き返った残酷な記念日である。そのイエスが死んで3日の後復活したという日である。死と復活、つまり死んでも死なないという不滅の信仰の根本である。古い民族宗教のユダヤ教から生まれ育ったイエスが愛、平和、信仰の世界宗教を訴えて反逆者とされ、殺された恨みの根源である。このような残酷な物語りのようなキリスト教を信仰することはなぜであろうか。釈尊のように悟って長寿した仏教とは性質が異なる。そして日本にはキリスト教がなじまない。
 復活信仰の意味は深い。不義と正義の戦いの信仰は生き方に大きい力をいただくようになる。われわれはこの世でさまざまな不義と戦わなければならない。自分では正しいと思って、信念持って行動をしても人は解ってくれない、誤解されることが多い。失望と恨みをもって悩む人が復活信仰によって救われることがある。科学的な合理的な現代人は宗教から離れる傾向があり、宗教といえばイスラムの原理主義、オーム真理教のようなことと思う人が多い。しかし世俗社会の悩み、不条理などは科学によっては救われない。復活の意味を考えてみるのも良い。
絵http://www.micnavi.jp/report/report.php?reporter_id=3&id=175
 

バスで韓国語

2012年04月07日 05時43分29秒 | エッセイ
 帰宅の際バスの後ろの方から携帯電話の話のような声が聞こえて来た。私は補聴器をはずしていたのに聞こえたので結構大きい声であっただろう。しかし話は続いた。注意して聞いたら男女の大学生のようであった。韓国語である。バスの中は異様な雰囲気であっても、韓国語が聞こえる以外には静かであった。下関にも市内で韓国の留学生たちが闊歩するような国際化の象徴的なことなのかなど、いろいろ考えてみた。韓国ではバスや電車でも携帯使用や会話が放任されて自由(?)である。日本の居酒屋のような日常である。特に結婚式や葬式などは騒々しさの極みの文化である。その点は中国より強いであろう。ブサンからソウルまでのKTXで、ある社長(?)は終始携帯電話で執務するようなことを私は体験した。日本のような迷惑は互いに感じない。
 韓国の人がバスで大声で話すことは在日韓国人とは異なる。在日は日常的には韓国的アイデンティティを隠しているので韓国語を知っていても人の前では言わない。彼らは常に差別を意識している。中国で朝鮮族は朝鮮語を堂々と話す。アメリカでももちろんである。なぜ日本では韓国語や朝鮮語を自由に話せないのか、その多くは日本側の責任であろう。昨日のバスの客たちは異様な迷惑を感じたかもしれないが、それは私も同感ではありながら韓国文化、在日韓国人との区別を体験したのである。そのうち韓国の留学生たちも日本での「迷惑文化」を学び、適応するだろう。(写真は留学生の親たちと3月15日)

敗北と挑戦

2012年04月06日 05時21分06秒 | エッセイ
 年度代わりといえば事務的に思う人が多いが、「新年度」の意味は深い。それは人生の質の変化が伴うからである。大学の新入生には学科を選ぶ、試験に応じ、合格と不合格がある。また就佸の時、何度かは「残念ながら…」の不採用の通知を受けた方も多いはずである。教員たちは各種研究費(たとえば科研)に挑戦して採択された人、不採択の人も多い。下関には直木賞と芥川賞の受賞の古川薫氏と田中慎弥氏の二人がおられ、座談を読んでみると候補に数回上がって落ちた経験の話がある。賞に対して人生をかけているような自分が嫌になった時に受賞されたようである。
 大正時代に東京帝国大学の教官鳥居龍蔵氏が不採択で自費で調査に行く時の不満を書いたものを読んで、私が引用したことがある。人生の中には様々なものに挑戦することがあるが、その挑戦と敗北は生き方の全てではない。他人に評価されるか否かは別であるはずである。スポーツでいえば体の能力発揮と練習が大事である。不合格、不採択の人々は再挑戦すべきであるが、それ自体を目標にしない方がよい。韓国には科挙試験や高等文官試験などに人生をかけて失敗し一生敗北感で不幸に生きた人が多かった。そのような人を数人知っている。賞や宝くじとはそんなに関係なく、人生そのものが大事である。

アジア社会文化研究会

2012年04月05日 06時04分15秒 | エッセイ
 1週間ぶりに大学に出勤した。新しく留学生たちが教室一杯になってガイダンスを受けているのをみて大学の活気を感じた。准教授の李良姫氏が彼らの前に立っていた。彼女は広島大学大学院国際協力研究科で私が指導教官として祭りなど観光人類学で博士号を取得してこの大学で観光学担当をしている。昨日この大学で唯一科研に採択されて、また学科長に任命されて祝いごとが2重3重になっている。私は彼女の嬉しさを5分の1位ほどは自分のものにしているようである。人によって競争心から敗北感や不快感さえ感じる人もいるだろう。私が感じている半分は親心のようなものであり、また半分は自分が指導協力してあげたという自慢の心のようである。純粋に人を祝うことが難し。
 もう一つのことに触れよう。広島大学大学院のアジア社会文化研究会から『アジア社会文化研究会』13号が届いた。広大在職中院生たちに映画の「バード大学の勉強虫」の話をしながら学生同士で勉強グループを作ることと、私が韓国と日本で読書会を長くしていた話をして研究会を立ち上げることを勧めた。最初数人の院生がプーコの『性の歴史』などを読む読書会が続き、それが終わりそうになった時、私は研究誌を考え編集までして印刷所に頼み1号を出した。それが形になって2000年創刊以来13号が出た。2004年号は私の定年退官記念号になっている。教員も加わって研究会、シンポジウムなど多様な研究活動をみて嬉しい。これも嬉しさの半分は自慢する心かもしれない。今度には当時の教え子の越智郁乃さんと岡田菜穂子さんのレベル高い論文を含めシンポジウムの報告など多様な内容になっている。旧同僚の吉村慎太郎、高谷紀夫、外川昌彦、三木直大、水羽信夫の諸先生と学生さんに感謝を送る。
 最後に私のことである。先日中国で国際会議に参加した学者から私の日本語の著書『哭の人類学』などを読んだ中国人、ベトナム人からコメントをいただいた。これこそ100%自分の嬉しさである。人は親でも先生でも嬉しさは自分のものがより純粋で絶対的であることを反省しながら嬉しさを広げている。

「栄転」と「左遷」

2012年04月04日 05時08分09秒 | エッセイ
 数日間の新聞をまとめて目を通して読んだ。3月の年度末から4月の新年度の始まりになって人事の変化が目立つ。公務員の人事異動からテレビ番組なども変わったものがあり、隣の大学長や新聞記者なども代わった。卒業式から入学式の記事も変化の節目を見せている。時間の流れの節目を強く感ずるが、一方、人の転入など地域的な移動も激しい季節である。2年間時々会った3人の記者が転出したことが分かった。中には下関から東京に転出した人がいた。電話で「栄転おめでとう」と言った。ある局長が転入した人を紹介するために一緒に訪ねてこられるという話もある。転入には一般的には「栄転」と「左遷」という意識が残っている。
 王朝時代には都から田舎へは左遷、あるいは島流しもあった。逆に上京は立身出世を意味した。韓国の諺に「人は都へ、牛馬は田舎へ」という言葉がある。しかし左遷と島流しの地から偉大な人物も多く出たことがある。私が心から尊敬する歴史的人物の二人が丁茶山と尹善道である。丁氏は島流されている間に500冊余を著述した。私が下関に赴任してまず尹の「漁夫四時詞」を読み直した。現在は辺鄙な地域、島流しの観念はなくなったが、もっと離島などに左遷されるかのように思う人はまだいるかもしれない。地域と密着して人生を磨くチャンスと思ってほしい。

夏から早春へ

2012年04月03日 04時36分27秒 | エッセイ
 中国広州市では薄暗い空が続く夏であったが(写真)、福岡空港から春へ、帰宅した。天気予報通荒れて台風のような風が吹いている。夏から早春へ逆戻りした。私は広東の薄暗い空が気になって、黄沙か、大気汚染か、と聞いたら霧がかかっているのだという。しかし最悪の汚染指数を指したのは最近であり、「居住に適さない」とされたところでもある。私は数日間の滞在で肺には良くない感がした。しかし住民は鈍感であることはメディアの影響であろう。言論は弾圧され、フェースブックはできなかった。汚染地域から日本に帰ってホッとしたが黄沙で空が汚れていた。
 日本は人口が少ないことを悲観的に言う人が多いが、人が少ないから大気汚染も少なく、生活の質を深めることができる長所が大きいことを嬉しく思っても良い。「人海戦術」という中国の人の労働力はアジアの活気になっていることは確かであるが、広い土地に環境保全の政策をとるべきである。中国は何が変わったか、共産主義独裁は変わっていない。ミャンマーのアウンサンスーチーさんが選挙で圧倒的に勝利したというニュースが入った。それが本当の変化であろう。中国が内面的に変わってほしい。

この写真は名桜大学の李さんの撮影

  

食の広東でドリアン試食

2012年04月02日 04時42分58秒 | エッセイ
 
 日本では桜の花見に行くというがこちらではレーゴ、紫荊、アザレアそして名前も知らない花があちこち咲いている。ブーゲンビリアはそれほど目にしない。最高気温27度、夏のような気温。今日は春の日本へ帰国。嬉しい。人が多く、活気溢れすぎの中国から静かな日本へ。
 広東省博物館では雷州歴史文化展を観た。チケットを売る人が私の「顔を観て知っている」といった。広東省の一地域の特別展で私は韓国の文化もこのような中国の一地域にすぎないような中国の文化的影響がいかに大きかったかを確かめたような印象であった。館内で弁当を食べながら私の留学時代の昔話を案内の星野さん、朴君に語るようなの時間であった。部屋さがしに行った時、韓国人であるということで断られたことに関して、その時同行してくれた人が実は伊藤亜人さん。菅野さんと記憶していたが私の間違いであることが確認できた。
 続けて、炭鉱、港口町、眞珠生産, 織物、書院、学宮(韓国の郷校)、沖縄の「石敢当」信仰などを細かく観た。西漢南城王博物館では王の墓跡、墓の内部まで入れるようになっており、館内には棺と槨、殉葬、死者(王)の胸と背には玉の円盤を載せている。それが死者の霊をあの世に送るという。
 市内で移動する時には普通タクシーを利用するが、それが難しい。遠くはだめとか、なかなか乗れない。中央分離線に立って両側のタクシーを必死に止めようとする。結局満員バスに乗った。道教の仁威祖廟は観覧時間に間に合わなかった。また在来の市場で果物を観歩き、伊藤さんの勧めで一個35圓のドリアンを買った。タイからの輸入品という。美食通りで30分ほど外の道端でまってようやく入り、広東の庶民料理を食べた。今度の旅の最高の、最後の美食であった。やはり「食は広東にあり」であった。ホテルに戻り私の部屋でドリアンの試食会、匂いを気にしながら食べてみた。新鮮さより果物の粥の感じ。アルコールの成分も感じた。お酒を飲んではいけないという話が納得。今度の研究会と調査をすべて終えた。




「味は広東にあり」陳氏書院

2012年04月01日 07時08分47秒 | エッセイ
 今度の論壇で度々話題になった系譜関係を知る上でも陳氏書院(陳家祠)を観るべきであった。伊藤、嶋、李鎮栄と私、そして案内は日本からの留学生の星野さんと韓国からの朴君であった。私は昔韓国の崔仁鶴氏と寄ったことがあるので2回目になる。韓国でも書院を多く観たので比較的な視線で見ることにした。私の関心は何より祖先の位牌であった。この陳家祠は1890~1894に当時の広州72県の陳姓の人々がお金を出しあって精巧な彫刻が施して、建立した。ここで陳氏一族子弟の教育も行った。この機能は韓国の書院と全く同じである。まず19棟のなかに中心の棟に祖先の位牌が置かれている。しかし毛沢東時代に破壊されて、復元されている。昨日我らは集中的に説明書を読みながら解釈にしまってみた。
 中央最上部に位牌が二つ、夫婦ではないであろう。星野麗子氏が撮影した(上)位牌には

 南海県河村房
 明恩授承義官欽真外郎老諱宇廷擧号白斎陳公府君神位
     妣 呉氏                               宜人
       鄭氏                               
 *韓国では本貫(南海県河村房)「学生」などの地位(義官欽真外郎)個人名と号(白斎)男性(公、府君)神位、夫人は二人、孺人(宜人)などが多少変わっても全体としては一致する。

など一つの位牌に夫婦(妾)と一緒に書かれている。赤い階段式の位牌に6千余の位牌が上から下へ左から右、右から左への順に下がることを知った。祭祀の時の位牌の配置図では中央に正座、その東隣に2、正座の西隣に3、さらに東に4、西に5の配置になる。これは位牌を祀る「昭穆之序」による位地を意味するものであり、それで韓国と同様儒教祭祀と同様なものである。中国の影響が大きいことを意味する。研究会で儒教文化圏で祖先祭祀を基準とした比較を提案したが反応がなかったが、新しい研究を期待する。私は研究が大きく進むことを感じた。
 もう一つの観光名所の光孝寺では清明節の祈念する行事が行われた。そこでも位牌に関心があった。仏教の位牌には神位の代わりに蓮位である。子孫たちが仏服をきて坊さんと歌のように念仏する。韓国の寺でも位牌をまつっているのと同様である。疲れてミニオートバイバスを乗って、コリアタウンというところに在来の市場を見て私の好物である松の実を買った。また伊藤さんの好物のマンゴスチンを味わった。美味しい。「味は広東にあり」。そして川の夜景、寝る時間が過ぎた。