崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

アジア社会文化研究会

2012年04月05日 06時04分15秒 | エッセイ
 1週間ぶりに大学に出勤した。新しく留学生たちが教室一杯になってガイダンスを受けているのをみて大学の活気を感じた。准教授の李良姫氏が彼らの前に立っていた。彼女は広島大学大学院国際協力研究科で私が指導教官として祭りなど観光人類学で博士号を取得してこの大学で観光学担当をしている。昨日この大学で唯一科研に採択されて、また学科長に任命されて祝いごとが2重3重になっている。私は彼女の嬉しさを5分の1位ほどは自分のものにしているようである。人によって競争心から敗北感や不快感さえ感じる人もいるだろう。私が感じている半分は親心のようなものであり、また半分は自分が指導協力してあげたという自慢の心のようである。純粋に人を祝うことが難し。
 もう一つのことに触れよう。広島大学大学院のアジア社会文化研究会から『アジア社会文化研究会』13号が届いた。広大在職中院生たちに映画の「バード大学の勉強虫」の話をしながら学生同士で勉強グループを作ることと、私が韓国と日本で読書会を長くしていた話をして研究会を立ち上げることを勧めた。最初数人の院生がプーコの『性の歴史』などを読む読書会が続き、それが終わりそうになった時、私は研究誌を考え編集までして印刷所に頼み1号を出した。それが形になって2000年創刊以来13号が出た。2004年号は私の定年退官記念号になっている。教員も加わって研究会、シンポジウムなど多様な研究活動をみて嬉しい。これも嬉しさの半分は自慢する心かもしれない。今度には当時の教え子の越智郁乃さんと岡田菜穂子さんのレベル高い論文を含めシンポジウムの報告など多様な内容になっている。旧同僚の吉村慎太郎、高谷紀夫、外川昌彦、三木直大、水羽信夫の諸先生と学生さんに感謝を送る。
 最後に私のことである。先日中国で国際会議に参加した学者から私の日本語の著書『哭の人類学』などを読んだ中国人、ベトナム人からコメントをいただいた。これこそ100%自分の嬉しさである。人は親でも先生でも嬉しさは自分のものがより純粋で絶対的であることを反省しながら嬉しさを広げている。