崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「内外」の習俗

2012年04月09日 05時15分19秒 | エッセイ
 
例年のように民団の花見に誘われて参加した。復活祭の行事に参加して花見には途中参加になり、すでに少女たちによって韓国の楽器、杖鼓、小鉦などを叩き、民謡が流れた。夫人たちが立って踊っていた。7,80人のなか女性が3分の2ほどである。毎年座る位置も決まっているが、男性と女性が分離されている。入口のメイン席には民団の顧問や団長など役員、女性グループの中ほどが婦人会の顧問や会長の席になっている。男性と女性は分離されているのが目立つ。これは韓国・朝鮮文化の「内外」の習俗である。つまり伝統的に男女が「回避」する習慣である。男女でも夫婦の親同士、兄弟の妻との関係は回避がもっとも強い。
 私は留学した時藤沢民団でアルバイトをしたことがある。その時結婚式などで「内外」を強く感じたが、今はかなり薄くなったが形式的には古い伝統が守られている。ヨーロッパなどでは性的分離があまりなかったがキリスト教が一般化するにつれて学校などで女子学校とかトイレも男女分離するようになったそうである。儒教文化では男女分離は厳格であった。韓国の両班住宅では男女の空間は塀によって分離されている。下関の梅光女学院が百数十年の歴史を破って男女共学に変え、今年度から共学になって男子学生が入学したと報じられている。長いキリスト教の伝統が変わったのである。トイレや銭湯も性別がなくなる時期が来るかもしれない。このような男女の性的分離、回避avoidance習俗は女性差別ではない。ラッドクリフ・ブラウンの研究が有名である。