崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「無罪」とジェントルマンシップ

2012年04月28日 05時07分02秒 | エッセイ
 「人民裁判」というと毛沢東の「文化革命」を思い出す人が多いだろう。私は朝鮮戦争の時3ヶ月間北朝鮮軍の占領時によく脅迫された「人民裁判」という言葉であって直接行われたことはわが村ではなかった。しかし韓国軍に復帰された直後北朝鮮に協力した敵性分子「パルゲンイ(赤)」であった一家が村民会議に問わたことを見た。「赤」と決議されるとその時は例外なくその家族は銃殺されることになる。私の父も参加したと思われるが、長い会議の結果「赤ではない」と結論を出した。その結果は尊重され、その「人民裁判」(?)について異議を提議して問題にする人は一人もなく、その家の人たちは今でも村人と仲良くなっている。世界に例のないジェントルマンシップであったと私は自慢する。明日その故郷を訪ねる。
 民主党の小沢一郎氏に対する裁判は「無罪」になった。それについてまだその経過や疑いなどは持っている人、メディアが多い。裁判は尊重されるべきである。軍事裁判ではないので日本の司法を尊重するのが本当の市民citizenである。スポーツで不当と思われる判定をしたとしても審判を立てた以上尊重するのが紳士的ジェントルマンシップであり、それを見せてほしい。これからは裁判の結果を以て政治的闘争なり、議論するのが望ましい。不正を断じてなくそうとする国民感情を無視するわけではないが、フィリピンや中国などの不正corruption社会とは次元が違う。今度は司法の裁判を「人民裁判」化しないて欲しい。