崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

バスで韓国語

2012年04月07日 05時43分29秒 | エッセイ
 帰宅の際バスの後ろの方から携帯電話の話のような声が聞こえて来た。私は補聴器をはずしていたのに聞こえたので結構大きい声であっただろう。しかし話は続いた。注意して聞いたら男女の大学生のようであった。韓国語である。バスの中は異様な雰囲気であっても、韓国語が聞こえる以外には静かであった。下関にも市内で韓国の留学生たちが闊歩するような国際化の象徴的なことなのかなど、いろいろ考えてみた。韓国ではバスや電車でも携帯使用や会話が放任されて自由(?)である。日本の居酒屋のような日常である。特に結婚式や葬式などは騒々しさの極みの文化である。その点は中国より強いであろう。ブサンからソウルまでのKTXで、ある社長(?)は終始携帯電話で執務するようなことを私は体験した。日本のような迷惑は互いに感じない。
 韓国の人がバスで大声で話すことは在日韓国人とは異なる。在日は日常的には韓国的アイデンティティを隠しているので韓国語を知っていても人の前では言わない。彼らは常に差別を意識している。中国で朝鮮族は朝鮮語を堂々と話す。アメリカでももちろんである。なぜ日本では韓国語や朝鮮語を自由に話せないのか、その多くは日本側の責任であろう。昨日のバスの客たちは異様な迷惑を感じたかもしれないが、それは私も同感ではありながら韓国文化、在日韓国人との区別を体験したのである。そのうち韓国の留学生たちも日本での「迷惑文化」を学び、適応するだろう。(写真は留学生の親たちと3月15日)