崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

北朝鮮の危険な火遊び

2012年04月14日 05時45分18秒 | エッセイ
 
昨日北朝鮮のミサイル発射について韓国、日本、Newyork Times などのニュースを注視してみた。日本は大げさに騒ぎ、PAC3配置などをしても発射映像を撮ることはしなかったのか、見せなかった。ただ韓国のイ―ジス艦「世宗大王号」が発射54秒後から全過程を見て確認することができた。軍事的には撮っても発表しないこともあるが、日本はそうでもなさそうである。発射された球でも命中できるという国民の期待は外れて大いに失望した。韓国より遠いとはいえども確定された地点の偵察ができなかったことは軍事としては無能力に近いと思う。しかし政府の対応が遅かったことには厳しく非難一色であるのを聞きながら正面突破ではなく正鵠人を非難する「噂話の文化」と感じる。日米安保云々と偵察能力もないことは言い訳であろう。私はカメラの先端技術がドイツのライカを超えたと信じたが、今度日本の技術能力への不信感は国防問題「以上の異常」であると失望した。
 防衛大臣にいじめのような国会尋問(?)ばかりして、科学的な情報収集能力は全くないと感じた。発射状況を遅れて報告したとか、政府を非難するだけが精一杯である。これから煩く当分間続くだろう。あんな報告遅れの話より隣国の「危険な火遊び」「誤発弾」に対応する技術と外交を論じてほしい。北朝鮮の「祝砲」は危険な火遊びである。花火へ変えてくだることを忠告したい。貧国の子供の火遊びを止めさせるのは「脅迫と外交」しかない。