崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

棗と老人

2007年11月02日 06時18分28秒 | エッセイ
 数日前宇部の林和男氏から棗の苗木をいただいて鉢に植えた。私の生まれ故郷には棗の木があってその実を食べて育ったので懐かしい。韓国では棗は祭祀の供え物、結婚式などでは子孫繁栄の象徴的なものとして用いられ、歌にも「棗の木のある井戸のそばでの恋人と…」という節句があり、その味が非常に好まれている。日本には棗の木があまり見当たらない。アメリカ・カリフォーニアで棗農場で大成功した韓国人から一緒に農場の仕事をしようと誘われたことがある。彼は私が棗が好きであることを知っているからである。先日ボストンの友人から棗の袋詰めがたくさん送られてきた。韓国では年輩の人が棗を見て食べないと早く年をとるということわざがあり、老人の好物でもある。私も棗をみたら早く、そして多く食べたい年になっている。