崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「貪官汚吏」

2007年11月15日 05時57分09秒 | エッセイ
私は官吏については否定的なイメージを持って育った。李朝時代の官吏は腐敗し、「貪官汚吏」と言われている。韓国の代表的な恋愛小説の「春香伝」には地方長官の悪い行動が象徴的に描かれている。李朝の官吏の腐敗が王朝を滅ぼし、そして日本植民地が正当化されるようなことが『醜い韓国人』の主要なテーマでもあった。韓国や中国の官吏に「貪官」のイメージがあり、日本の官吏は「清官」という対称で言われた。しかし最近日本で問題になっている国家公務員の中の不正を見ると韓国語の「貪官汚吏」を思い出す。日本には長い間官僚制が確立したという特徴が汚職官僚を生み出しているかのように感ずる。早く日本の「清官」像を回復してほしい。

私の生け花趣味

2007年11月14日 06時17分29秒 | エッセイ
 私の趣味といえば生け花と言えるかもしれない。犬を連れての朝の散歩道で野生の花や枝をちょっといただいてきて、それを整理して生ける程度である。しかしそれで季節感が部屋にいっぱいになり、うれしくなる。誰に見せるわけではなく、せいぜい妻に見てもらうだけで満足するに十分である。私が生け花に関心を持つようになったのは1960年代末頃、事務所の前に珍しく日本式の生け花講習所の看板が見えて、それに好奇心を持って覗いたことが契機である。日本留学の時に留学生たちと合宿旅行をしたことがある。朝の散歩道から帰りに私が野生の草花を切って食卓を飾って、特に女子学生たちから好評を受けて嬉しかった。その後生け花の本を読み、展示会などを見ながら、学会と教会などでも花を生けてみた。鉢の薔薇そのままでも綺麗であるが、それを切ることによって愛のプレゼントになる。花を切ることは新しい価値を生み出すことになる。人間関係も場合によって切ることが必要である。死はその代表的なことであろう。

夢悪

2007年11月13日 06時56分15秒 | エッセイ
 一般的に韓国人はそうであろうと思う。特に悪い夢を見ると「夢見が悪い、クンジャリサナプッタ、꿈자리 사납다」の場合はシャーマンのところで占って儀礼をすることも多い。一般的に「夢、ドリームを持ちなさい」とか夢を肯定的に思うのは西洋の影響かもしれない。夢の現実化ドリームカムスルー(Dream comes true)がよく言われる。私は子ども時代に悪い夢をよく見て怖かったことが多かった。高校時代にプロイドの「夢の解釈」を耽読して不安から解放されたのである。ただ夢は無意識の反映と言われている。今も私は時々悪い夢を見るということは現実的には不安があるということであろうか、と首をかしげている。

感謝の生活

2007年11月12日 07時25分29秒 | エッセイ
 キリスト教会で一番よく聞いている言葉が「感謝」である。礼拝である女性がメッセージを語った。彼女の父は目が見えない信徒であり、夫も障害を持っている。彼女は日々の生活に感謝するという。それは身に付いた生活から噴き出す虹のような美しい言葉であった。感謝の心は「満足」「ポジティブ」「平和」の原動力である。教会の壁にはめぐみ幼稚園児の自画像のスケッチが貼られてあった。これは前日の園児たちの祝福式での主人公たちの描いた自画像である。この自画像を見てそして祝福式で園児一人一人が自分が「お友達の気持ちがわかるようになりたい」、「最後まであきらめないで頑張れる人になりたい」などの言葉を元気よく言って「お祈りしてください」と両手をあわせて牧師先生から祝福を受ける姿を感動をもって思い出させる感謝が充満した礼拝堂での感謝節であった。

老兵は死なずただ消え去るのみ

2007年11月11日 07時03分07秒 | エッセイ
 昨日5時間過ぎまで長く続けて科研の研究会を行った。小生が広島大学に在職中、博士号を取得した弟子である発表者山田寛人氏と司会者上水流久彦氏が並んでいた。原田先生が「まるで大学院ゼミでは?」と冗談を言った。私は彼等の言動を見ながら大学院学生時代を思い出しながら素晴らしく成長した彼等を見て嬉しくなった。また一方では私は過去の人になるような寂しさも感じた。まだまだ現役で残りがんばりたい、まだ多くのことに挑戦してみたい。しかし歳月の流れを防ぐことはできない。マッカーサーが言った「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」という言葉を想起する。

花の鉢を室内へ

2007年11月10日 07時38分59秒 | エッセイ
 花の鉢を室内へ入れる季節になった。部屋が温室のようになった。中には一昨年30センチくらいの熱帯性の病弱の苗木を500円で買って育てた熱帯植物もある。名前は忘れたが、うまく成長して私の身長を越えて天井にぶつかるほどになった。花屋でこのくらい大きい同じ種類の木の値段を見た家内が驚く。一万円も越える値打ちに喜ぶことをみて、私はすぐにも花栽培の商売ができそうな自信が湧いてきた。「なんでも鑑定」の番組でもモノに関心を傾けるより値段に感動する人が多い。しかしその場面をみて経済的な価値の値段だけではなく、値段を知ってから物を改めて鑑賞するような美術鑑賞への誘いの契機にもなると思った。

冗談が通じない

2007年11月09日 06時20分39秒 | エッセイ
 私が政治不信になるという話をして、「次の市長選に立候補しようか」と冗談に言ったら真面目に頷いた人がいて、「冗談が通じない」のでこちらがあわてた。以前に私が牛乳の 入ったコップを指しながら塩を入れてすぐチーズを作りますと冗談をいったら聞き手が「そうでございますか」と返答して気が抜けたことがある。留学時代、東大に在学した金泰俊氏とは冗談のよく通じる仲間であり、二人の冗談話でよく笑わせていたが、彼は帰国し、私は日本で何度も冗談を言い、失敗していつの間にか私は冗談を言わないようになった。韓国に比べて日本は冗談が通じない社会であることを改めて認識した。

もじこうー釜山フェリー就航

2007年11月08日 07時24分09秒 | エッセイ
 門司港ー釜山フェリーが就航するという。わが家にとって二港から釜山に向けて連絡船が往来することは歓迎すべきである。下関港に着いた多くの団体客が待機しているバスに乗って九州地方に観光に行くことが多いことを考えると門司港にフェリーがあるともっと便利になることであろう。しかしそれについて下関の関係者は現存の関釜フェリーはそれほど影響があまりないとみている。下関の関係者の態度には積極的な観光政策をとっていないように感じ、大失望である。として積極的に高速フェリーや飛行場などを含むサプライズ・アイデアの富んだ観光政策を発表し、それを実現するなどの対策を考究してほしい。

マーガリン

2007年11月07日 06時06分17秒 | エッセイ
 最近私の体重がやや増えた。それは運動不足でもあるがそれは今はじまったことではない。考えてみるとマーガリンの所為ではないかと思う。バターやチーズ、乳製品は好きではないが、例外的にマーガリンが好き。それはおそらく朝鮮戦争の時10才ころ、米軍から出たものを食べた味覚がインプットされているからであろう。食べ物がない時代にマーガリンで作ったビビンバはとても美味しかった。最近そのマーガリンを見つけて美味しく食べるようになった。しかし私以上に愛犬ミミちゃんがマーガリンが好きになり、太ってしまって困っている。幸せな悩みである。

小沢ショック

2007年11月06日 06時39分06秒 | エッセイ
 小沢氏の政治遍歴からみて代表の辞意表明は単純な政治的なショーではないと思う。だから小沢ショックが政局を振り回している。追い込まれて自殺するニュースは最近よく聞いても、頂点に立っている人が追い込まれず、辞表を出すことは珍しい。このような辞表のニュースを聞いてまず私は新鮮なショックを受けた。それは相当の信念のある人ではないとできないことであるからである。まるでそれは世俗的な事柄をすべて捨てて出家する仏心に似ている。私は今珍しく「三国誌」諸葛孔明に比する話を聞いている感がある。古典的には偉大な政治家は「三顧の礼」を受けて出るものであり、それが政治家の品格であった。しかし現在の政治は小者が手を挙げて煩く騒いているのが常道である。ただ「小者=小沢」にならないことを祈る。

北九州ハングル弁論大会で審査

2007年11月05日 07時23分35秒 | エッセイ
 昨日北九州ハングル弁論大会で審査委員長を務めた後、懇親会の場所を探しに20分ほど歩いて警官に聞いたら地図を見せながら地下鉄に乗れというのだ。がっかりして参加放棄しようした時、目の前にその食堂があって入った。警官が勘違いしたようである。懇親会は実行委員たちと楽しい交わりの時間であった。隣席の福岡教育院長の金光燮氏は韓国の私の長い間の調査地全羅南道長興出身であり、懐かしく話が盛り上がった。その最中に韓国ソウルから来て日本人女性と結婚したという40代の金明相氏の自己紹介を受けた。彼は私の出身の蓬莱小学校の29年後輩であることがわかって、盛り上がりは再グレードアッブされた。大変懐かしく思った。なぜ人は美空ひばりの歌の中に出るような「過去たち」を懐かしく思うのであろう。

文化の日

2007年11月04日 08時11分19秒 | エッセイ
 11月3日は「文化の日」である。めぐみ幼稚園のバーザをみて、下関市立考古博物館を観覧した。その博物館には前方後円墳と弥生文化の展示がされており、素晴らしかった。見下ろせるような展示方法、映像の解説、子供の学習など細かく配慮したことがすぐわかる。前方後円墳と弥生文化のいずれも朝鮮半島との関係が深い。以前私は韓国全羅南道の前方後円墳を見たことがあり、また広島西条の自宅の近くにも前方後円墳がある。私は家内と彼女の友人と3人で1時間楽しく観覧したが他には観客が一人もいなかった。博物館は文化の象徴的な施設であることは間違いない。文化の日に博物館に観覧者がほぼいないということは、まず市民意識に問題がある。また博物館にも問題がある。イベントや特別展示などを市民と親しめるように努力しければいけないし宣伝もすべきである。こんな状況ではほんとうにもったいないし、この場が生かされていないことが残念でたまらなかった

第6回の研究会を開催

2007年11月03日 06時21分00秒 | エッセイ
 来週の土曜日(2007年11月10日午後1時から6時まで、 東亜大学13号館7階)にて「科研」による第6回目の研究会を開催する。発表は下関市立大学の木村健二氏の「明治期山口県農漁民の朝鮮進出の背景」と広島大学非常勤講師の山田寛人氏の「日本人に朝鮮語を教えた朝鮮人教師の経歴」であり、それらにについて県立広島大学の上水流久彦氏がコメンデーターとして勤める。この研究会には東京や韓国からも参加する予定である。研究会を楽しみにしている。参加を希望する人は一報してほしい。


棗と老人

2007年11月02日 06時18分28秒 | エッセイ
 数日前宇部の林和男氏から棗の苗木をいただいて鉢に植えた。私の生まれ故郷には棗の木があってその実を食べて育ったので懐かしい。韓国では棗は祭祀の供え物、結婚式などでは子孫繁栄の象徴的なものとして用いられ、歌にも「棗の木のある井戸のそばでの恋人と…」という節句があり、その味が非常に好まれている。日本には棗の木があまり見当たらない。アメリカ・カリフォーニアで棗農場で大成功した韓国人から一緒に農場の仕事をしようと誘われたことがある。彼は私が棗が好きであることを知っているからである。先日ボストンの友人から棗の袋詰めがたくさん送られてきた。韓国では年輩の人が棗を見て食べないと早く年をとるということわざがあり、老人の好物でもある。私も棗をみたら早く、そして多く食べたい年になっている。

研究を否定する教員

2007年11月01日 06時25分31秒 | エッセイ
 ロシア・サハリンの国立大学の教授が自分は学者ではなく、ただの教員であると言ったことを聞いて驚いた。フォローしてみるとロシアのシステムとしては「職員」「教員」「学者」などを区別して国家が決めるようである。日本では一般的に大学教員は研究者と思われるのに教員自ら自分は研究者ではないと否定する人が日本の大学にもいる。ある大学の教員の集まりでは大学は教育が主な仕事であり、「研究が主ではない」という発言をする人がいた。教員の中でも研究が好きではない人がいることは想像できるが、「研究のためではない教育」などの発言は彼だけではなく、大学教員のイメージをダウンさせることになる。聞いていて危険な発言であったと思った。