崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「旅の恥はかき捨て」

2015年05月30日 05時34分36秒 | 旅行
毎週行っている読書会は楽しい。今週倉光氏が戦前の日本人の朝鮮紀行文に関する発表をした。彼は読んで面白みがないのはなぜであろうかと言った。その言葉は私の心に響くものがあった。私はアジアを広く旅行し、そのつど旅行記のような文を書いてきたが「反省しろ」とも聞こえた。多くは旅先で見たもの体験したものを書いたが、感じたことや考えたことは控えた。それが偏見につながるのではないかと思ったからである。たとえば中国やロシアで困境にあった時の事実は書いてもその時感じたことは控えめに書いたのである。旅行記には思索が伴わないと面白くないのかもしれない。
 日本語では「旅の恥はかき捨て」という良いことわざがある。旅で人には現地に溶け合って創意的な変化が起きることも解釈できる。文化人類学者のビクトルターナーは巡礼で現地において溶け合っての変化をコミューニタスcommunitasと言っていた。現在、世界は観光客であふれる時代なっている。考え方が大きく変わると期待する。しかしまた多くの人はただ流れに乗って移動しているだけで面白くない旅を続けているかもしれない。先週の講義で黒田勝弘氏のエッセイを紹介した。韓国の学者たちのモンゴル調査に同行した時のことを書いたものである。彼らは韓国からキムチなどを持参し、現地では韓国のレストランに入り、モンゴル料理は全く食べなかったと指摘している。つまり、そこまで行っても現地の人々との交わりや関わり、現地体験のようなものが少ない旅だったようである。戦前の日本人の紀行文もそのようなもので面白くなかったようである。*拙著の紀行文『東アジア文化読み』(亜細亜文化社)