崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「元老に聞く」

2015年05月12日 04時32分05秒 | 旅行
定期健診の時、来週、池田先生がアメリカのデンバーで開かれる国際学会で発表されることを応援、お祝いの言葉を述べ、「お元気で、、、」と言うと傍に立っている看護師などが「行っていらっしゃい」という前に声を出して笑った。なぜだろうか。「お気をつけて」と言うべきだったらしい。しかし先生は私が外人であることを知っているからか平然としていた。このように私の日本語は永遠に完璧になれないことを悟った。日本語は失敗してもよいという、放心があるからであろう。英語もそうである。外人だから多少間違ってもよいという安心感があるからであろう。それは外国語を使う人の多くが持っている普遍的な欠点かもしれない。丁寧語など注意を払って「お」を付けてもお箸、お林檎、おマンゴ、おナイフ…など。それでもまだ失礼になりそうである。韓国のドラマで母親の悪口は日本語で訳せず黙音マーク、放送倫理基準も異なるようである。
 日韓の橋渡し役に努力していると言われることがあるが、場合によって両側に迷惑をかけているのではないかと反省することがある。私の研究が韓国にプラスなるのだろうかと憂い中、メールが届いた。韓国民俗総合学術大会で「元老に聞く」という題で講演の依頼が来た。趣旨から考えてみると、おそらく学会初期に関わった者としての招待であろうと思う。先輩、恩師らが高齢、亡くなられたことから私の順番になったような空虚感はあるが嬉しき招待に応じることとした。韓国語の講演では言葉で笑われることはないが、新造語は知らない、さらに新しい研究成果を知らない話になるかも知れないと懸念する。ただ老人の昔話ではなく新鮮な衝撃を与えたい。多くの友人、知人、後輩たちに会えることもうれしい。