崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「戦後70年」

2015年05月01日 09時04分05秒 | エッセイ
今年は「戦後70年」という言葉が溢れる年である。安倍氏の米議会での反省の演説に噛みつくような非難もある。喧嘩しないという和解の話が火種になって喧嘩になるのは世間の茶飯事、また喧嘩・戦争の始まりになりそうな年である。人はなぜ戦争を話題に、そして火種にするのか、朝鮮戦争体験からの私なりの解釈は戦争は「怖く面白い」からであろう。つまりホラー性があるからであろう。アメリカに招かれて厚待に好意に行った安倍氏のスピーチはスピーチspeechすなわち宣誓、声明などではない。礼儀をわきまえた言葉が中心だと理解してもよいだろう。それはアメリカ向けのスピーチという駐日大使の適切なコメントに尽きる。それ以上言うのは非礼に当たる。
 今各種分野から「戦後70年」企画がなされている。昨日私はもう1冊の原稿を脱稿した。戦争中の日記の分析である。最終的にプリントして「私の戦争は終わった」「これから平和だ」という解脱した完成感が湧いた。これからなにもすることのないような空虚感もあった。その時私の研究室にノックをする人、川村博忠先生であった。ドイツの世界学会で英語講演の準備の話を聞いた。突然私の戦争(挑戦)も終わっていないと自覚した。帰宅したら最新拙著出版のハート出版から川島擁子氏原書「My Brother, My Sister, and I」の訳書『続・竹林はるか遠く』が届いた。朝鮮半島で壮絶な苦難を乗り越えて帰国した少女ヨーコの話が韓国から酷いバッシングされたのは本欄でも数回紹介したとおりである。今度の小説では日本に引き揚げてきてからの差別、受難の話である。日本からもバッシングがあるかもしれない。