崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「戦後70周年」が怖い。

2015年05月14日 05時00分01秒 | 旅行
毎日が何かの記念日である。生死にかかわらず個人の誕生日記念日などを含めて無限に多いと思われる。生きること自体が記念すべきことであることを意味する。記念とは何だろう。戦前日本は多くの記念日を通して聖戦、決戦を高めてきた。その記念日は戦後平和な記念日に変わっている。その記念日意識も希釈になりただの休日化し、「連休」がゴールド(GW)になっている。今年世界大戦の「戦後70周年」と叫んで騒いでいる。それはただの「記念」ではなくロシアでは大規模な勝戦記念(写真)をはじめ多くの国が戦争意識を高調させているのではないかと憂うほどである。日本の靖国参拝に刺激された中国や韓国の軍国化、更に日本の軍国化さえ憂う現象が起きている。戦争をリマインドして平和を追求する。しかし戦争を記念しながら勝戦意識を高めることは悪い。
 ある韓国系アメリカ人の有名な学者から電話を受けた。彼は韓国から財政的に支援を受けて「安倍の奴」に対抗する研究書をアメリカで英語で出版したいという。慰安婦問題について反日的な出版物によって日本政府に対抗するというので私は彼に学問の客観性のことを指摘したら「そんなものは関係ない」という。大変困った。韓国人としてアメリカに留学して住みつき、大学教授をしても韓国の反日思想から抜けていない。そこで私は考えた。アメリカは少数民族の人種のるつぼメルチングポット(混合)と言われているが、韓国系の反日感情には驚いて数日間気分が重い。民族意識は永遠に超えられないサラダボウルであると失望している。「戦後70周年」を契機にもう一回戦争が始まるような雰囲気である。私は戦争を語ったが、それは恨むものではなく、ハン(恨)に過ぎないと思う。「戦後70周年」が怖い。