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家計別の物価上昇率の話

2008年05月24日 13時07分57秒 | 経済関連
via 大竹文雄のブログ 所得階級別物価上昇率

興味深い話題である。

示されたペーパーがこちら>家計別物価指数の構築と分析

本論文で示された中で、示唆に富む部分があったので挙げておきたい。
5.2で次のように述べられていた。
『図3からも明らかなように、1980年代でもかなりの家計はデフレ状況にあった。現状でも全国消費者物価インフレ率が安定的にプラスになったとしても、40%以上の人がデフレ下にいることはあり得る。このように、平均的な物価水準で全てを理解し、政策判断することには限界があるというのが本稿の主たるメッセージである。
(中略)
すなわち約1%の上下の幅を持たせてターゲットを決めるとほぼ80%の人がその範囲内のインフレ率で生活していることがわかる。』


なるほど、と得心のいくもので、「平均的な物価水準で全てを理解し、政策判断することには限界がある」ということは同意できる。簡単にいえば、全てを理解することなんてできないだろう、というのはあまりに当たり前だからである。そうではあっても政策決定は行わねばならないのであって、理解できないことがあるにせよ、手持ちの材料や使えそうな資料等の全てを用いて「考えてみる」しかないのである。その役割を担うのが中央銀行なのだから。

山の中腹に登山隊がいる時、「このまま登り続けますか、どうしますか」と隊長に判断を求めても「判りません、答えられません」じゃ、困るでしょう、という話である。「下山しますか」「このまま待機しますか」「ビバークしますか」「アタックしますか」という判断を求めているのに、毎回毎回迷っていたり「答えられません」じゃ、登山隊は全滅するだろう。隊長がそんな役立たずでは、「隊長を代われ」と求めるしかない。指示を出せる人間が代わってやるしかない。急に悪天候に見舞われて、雨で前が全く見えません、という時に、どうにもできないのでとりあえず今まで通り、みたいに間違った指示をされたら、隊員たちが被害に遭うだけだ。日本経済というのは、実際にそうして大勢の被害者が生み出された。今後に猛烈な嵐がやってきます、どうしますか、という緊急事態の時に、「山頂に行けば雲が晴れるから登れ」と無理に登らされて多数死亡。ようやく少しだけ雨が上がって助かったと安堵した途端に「休むな、弛んでる」といわれ、駆け足で登らされるという無茶なシゴキに遭った。どうにかこれまでついてきた隊員たちも、そこでも大勢脱落し死亡。日銀とは、こんな隊長だった。

話が逸れたが、上記ペーパーの最も優れた部分というのは、家計のインフレ率はおおよそ正規分布になっており、平均値からの乖離がある、ということを明らかにしていることだ。指数として出される数値というのは全体を統合したもの(平均的な値)でしかなく、分布の低い方にも「それなりに存在している」ということなのである。これをどのように考えたらよいかといえば、ペーパーにも記されているように「80%くらいの国民」が平均からの上下約1%のインフレ率に存在し、政策的に考える時にはその多数派がデフレになっていないような状態を目指せばいいのではないか、ということになるのではないか。

つまり、正規分布の山の中心をインフレ率ゼロに位置させると「国民のかなりの数(例えば4割とか)」がデフレ下に置かれることになってしまうが、山の中心を1%高い方にシフトさせると、指数として出されるインフレ率は1%(平均値)となるが、国民の大多数の8割以上がデフレ下には置かれないことになるのである。完全に理論的な正規分布であれば左右対称ということになるから、仮に指数として出されるインフレ率がゼロであっても、半分はデフレ下に置かれることになるだろう。「理論的な消費者物価インフレ率がゼロ」という状態というのは、そういうことを意味する。これを回避して、正規分布の大半―8割とか9割とか、政策的に考えるべき水準―がゼロよりも高い側に存在するように金融政策を行うことは、結果的に正規分布の中心を「常に高い側に位置させる」ことが必要だ、ということだ。山を少しだけ右にシフトさせておかねばならない、ということ。インフレ・ターゲットの下限がゼロが望ましいのではないということは、そういうことからも言えるのではないだろうか。ターゲット(=山の中心の変動範囲)の下限をもうちょっと上に(最低でも1%とか)置いておかねばならない、ということだ。


物価上昇の実感云々の話は、これまでにも何度も書いたので、一応。

「貧乏バイアス」の存在を疑う(笑)

昔は「庶民の感覚」重視だったのか?

物価の実感云々の話は


ペーパーでは支出階級別での物価上昇とか、期間別や地域別といった差があったことを調べているので、家計の置かれている環境(年齢、地域、時期等)で個々の実感の具合というのは異なるだろう、ということかなと思った。でも、それって普通なのではないかな、とも思った。政策的に考える時には、個々の家計に合わせて判断することなどできないのは当然。日銀が全ての人たちの不満なく政策決定できるわけではない。できるだけ最大多数の幸福に繋がるように考えてみるしかないだろうと思う。だからこそ、銀行利息が少なすぎるのでもっと利上げしろ、みたいな「一部の特定層」の意見を出してくるのを疑問に思うのだ。判断する際には、全体を優先するべき、ということ。

これは、株式市場での変動なんかにも近いと思う。
指標としては、日経平均でもTOPIXでも「代表される指標」というものがある。これが平均的に算出される消費者物価指数みたいなものと同じだ。個々の企業ごとで見れば、値上がりしている株もあれば、逆に下がっている株もあるだろう。個々の動きとはそういうものだ。その変動率の分布を見れば、はやり正規分布に近いような形状となっているかもしれず(違うことも勿論あるだろう)、市場全体の動きとかエネルギーを見るには変動中心であるところの指標を見て判断することが多いのではないか、ということだ。個別の株の値動きだけ見れば、ずっと値下がりという銘柄だってある。家計でいえば、ずっとデフレ下に置かれている家計みたいなものだ。

もっと広い範囲で、地域別とか年齢別階級みたいな区分というのは、株で喩えればセクター別みたいなものかな。全体の指標は上がっていても、金融セクターだけは値下がりだとか、不動産セクターは下落が続いているとか、そういう「グループ間の差」みたいなものはある。別な区分で、「大型株」「中小型株」でもいいし、「値がさ株」「低位?(100円とか200円以下の安い)株」でもいいけど、そういうグループ間の差を観察すれば、動きには違いがあるのは珍しくはない。でも、相場全体のトレンドというか、動く方向性みたいなものを考える時には、やはり代表的指標―つまり日経平均だのTOPIXだの―で流れを見ることが多いだろうと思う。完全な予測など存在しないでしょうけど。それは政策判断、決定も同じだということ。

株式市場での弱気とか相場全体の強さとか、そういう判断の重要な材料としては、やはり指標が着実に上昇してきているかどうか、というトレンドだろうと思うし、将来予測としても重要な意味を持つだろう。業種別で見れば特定業種で連続の下げとなっていても、相場全体では上昇が続けば、方向性として「強い悲観論」みたいなものは左程出てこないと思う。
値下がりより値上がりの銘柄数が多く、変動率分布の山の中心がゼロよりもプラスに位置している限り、山の下限側の一部がマイナスとなっていても、将来予測としては「上昇」と感じ取るのではないかということ。相場観として、そうなるんじゃないかな、と。大抵の人間は、自分自身の判断よりも周囲の大勢の評価の方が気になるというか、周囲の評価を見て自分の判断が影響される、ということがあるのではないかと。経済停滞というのが、少数のマイナス領域の人々の悲観論によって引き起こされるのではなく、全体的な雰囲気みたいなもので形成されるんじゃなかろうか、と。分布の中心がどこに位置するか、ということであり、多分プラスにあれば悲観的な人は少なくなるだろう。それは「自分の持っているたった一つの株」が値下がりしたからといって、「日本市場はもうダメだ」と考える人はまずいないんじゃないかな、というのと同じ。そうではなくて、自分の持ってる一つの株が値下がりするばかりじゃなく、その他大勢の持つ多数の株が値下がりする、つまり指数は下落するという事態が続くことで、「日本市場はダメかもしんない」という将来予測が形成されるだろう、と。


ま、庶民の実感云々は別にして、低所得階層で値下がりの恩恵が少ないとすると、生存の為の最低費用が相対的に高いことになるのでちょっとマズイよね、ということにはなるだろう。
個人的な実感(笑)としては、物価下落の恩恵を受けて、基礎消費に相当する額というか、生存維持の最低費用は下がったのではないかな、と思っていたのだが、どうも当てにはならないな。失礼しました。
賃金に関する議論~補足編


今後の政策(日銀の、ということでなく)を考える上では、案外と重要な論点かもしれません。





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