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未だに反省できない日銀

2009年08月18日 15時02分41秒 | 経済関連
日銀は、まだ判ってないのか?
自らの愚かさを。

中国人民銀行・国際決済銀行共催コンファランス(上海)における白川総裁講演(8月8日)の邦訳「非伝統的な金融政策─中央銀行の挑戦と学習─」:日本銀行


この中で白川総裁曰く、

『典型的な政策提言としては、「日本銀行が行うべきことは、高めの目標インフレ率を設定し、その目標を達成するため、実物資産を含めてあらゆる資産を購入することだけである」、「日本銀行は財政赤字のマネタイゼーションを行うべし」などがありました。中でも、最も有名な提言の1つは、「無責任な政策にクレディブルにコミットすべし」というものです。』

だそうだが、これは典型的な「切り取り」なのではないか?
マスコミがよく使う手じゃないか(笑)。文脈無視、置かれている前提条件(経済環境等)も無視、どういう文脈で言われたのかが聴衆には判らないだろうから、日銀自身を正当化する為のプロパガンダに用いているのと変わりないであろう。

「大本営発表」(笑)という形で、日銀記者クラブを通じて(日銀にとって)都合の良い言説をばら撒くのと極めて似ているのではないか?



根本的な問題を言っておこう。
権威主義に凝り固まったヤブ医者ならぬ「ヤブ修道士」みたいなもので、まず診断ができていない。当人たちには、そのことに気付いていない。そういう「留意」の欠片すら、ない。気付いていない、ということの重大さとかそういう時にありがちな陥穽とか、そこに気が回っていないのだ。だからこそ、度々失敗するし、同じ過ちを何度となく繰り返してしまうのである。数々の「警句」が、警句として届かないのは、その為であろう。だからこそ、何度でも間違うのだ。


白川総裁や日銀擁護派などの業界エコノミストや記者連中というのは、日銀が過去に陥った事態と、今回の金融危機~経済停滞が、「全く同じ病気、病態、患者の状態」というのを、暗黙の前提として語っているに過ぎない。だが、本当にそうなのだろうか?誰かが、経済危機の起こる病理・病態について正確に記述できたのか?一連の市場や金融システムの反応について、経済学的な評価や定型的知識が何か得られたのか?

日本で起こった90年代のバブル崩壊及びそれ以降続いてきた「失われた20年」は、本当に今回の危機と同じ変化なのか?
そこまで正確に経済学的知見を獲得している人を、私は誰一人として知らないが。もしも白川総裁や加藤某だったかのような日銀派のエコノミストだか実務家連中が言うのが正しいのなら、今後欧米は日本と同じ道と歩むということなのだね?それは、再現性がある、ということなのだね?

<指摘1>
病態が同じで患者の状態も同等、のような基礎的条件が本当に日本と欧米で同じなのか、極めて疑わしい。発生機序についても未だに不明瞭な部分が多く、それについて多くの経済学者に合意が得られているとも思われない。


◇◇◇◇◇◇

次に、時間経過の違い、というものがある。日本での経験は、今回の危機と時間経過が同じというわけではない。病気で言えば、急性期と慢性期では、処置や処方は異なっても当然、ということはある。心筋梗塞にしても、新鮮例と陳旧例では異なる。或いは、脂肪塞栓によるものと動脈硬化から来る急性心筋梗塞では、違いがあるわけである。ショックにしても、ウォームショックとコールドショックでは症状や反応が異なっている部分はある。患者の個体差によっても、かなりの違いを生じるのが普通である。

要するに、日本での例と今回の欧米の例が同じ、というのを言うには、そういう条件を一つひとつ確かめていくとか、どこまでは同じでどの部分が異なるというのを正確に記述することを試みるしかないのである。だが、そういう結論をこれまで一度だって見たことなどない。現時点では、誰にも判っていないからじゃないのか?

日本でのバブル崩壊というのは、91年頃であって、急性期はそこでまず過ぎ去っていたのではないのか?
まあ、正確に短期・長期という区別が経済学の分野でついているかどうかは知らないけれども、緊急事態として考えるならせいぜい数日とか数ヶ月とか、短いスパンであるのが常識的ではあるね。これが1年とか3年といった、年単位ともなれば、「急性」とか「緊急」といった表現をするのが躊躇われますね、という話である。

99年以降に様々な提言を受けていたとかっていうのは、既にかなりの慢性化かつ重症化してゆく過程を外部から見てとっていたからこそではないのか?(笑)まるで糖尿病みたいなもんだ。うまく対処しておくことができたのなら、90年代前半で勝負はついていても不思議ではなかったんじゃないのか?それができなかったのは、何故なのだろうか?それは誰の責任が大きかったのだろうか?
政府か?それとも日銀か?或いは、借金まみれの銀行or大企業か?

言ってみれば、日本で起こった停滞は、慢性化かつ重症化してしまったが故の、「難治性」が格段に増した状態を生み出してしまったのだ、ということだ。心筋梗塞でいうなら、狭心症の症状が何度も出ていたのに、適切な処置が出来ていなかったので病状悪化が進み、遂には心筋梗塞に至ったようなものだ。時間経過とともに、血管の内径の狭窄が進行していったのさ。治療ができていなかったか、診断すら間違っていたからだろ。だから、心筋梗塞に至る過程で対処できなかったんだろ。それが97年以降に起こった、重症化した病状だったのだろ。
患者(日本経済)が「胸が苦しいよ、痛いよ」と幾度となく症状を訴えていたのに、「いや、治ってるから、病気は大したことないから、心臓は何ともないから」と言いくるめて、病状悪化を見逃していただけだろ。日銀は何らの適切な対処をしなかった、ということさ。日本でのバブル崩壊過程は、今回の欧米での危機に比べると『緩徐に進んだ』のだ。だからこそ、ショックに対する時間的余裕はあったはずだし、うまく治療しておくことができたなら今の如く重症化することもなかったはずだ。それを怠ったのは一体誰だと思うか?

中央銀行だろ。日銀なんだよ。


今までの欧米の政府や中銀がとってきた措置というのは、簡単に表現すれば「ショックに対する急性期治療」ということだ。これは、概ね標準的な治療法というのがあるから、ということになる。喩えて言えば「呼吸停止」には人工呼吸、という場合に、個体差という要因はあまり重要ではなくなる。決まってやることをやるしかないから、ということだ。日本での経験は、そういう意味では無駄ではなかったかもしれないが、あまり示唆を与えてくれるものでもない。失敗見本ということでならば、それなりの価値があるかもしれない。見た者は口々に、こう述べるだろう。「日本のようにだけは、なりたくない」
超短時間の急性期を過ぎれば、次はやや小康状態が続く中での治療ということになってゆくだろう。慢性期に到達したというほどではないにしろ、危篤状態は脱した、ということだ。でも、まだICUを出たわけではないからね。一般病棟に移れる程の病状改善にはなっていないし、慢性化した病状と呼べるものでもないかもしれない。

<指摘2>
時間的経過の違いを考慮すべき。バブル崩壊というショックの急性期と慢性期では、治療が異なることは有り得る。日本では緩徐な進行を辿り、重症化した。欧米の危機は、まだ慢性期への移行には到達していないと考える。日本に提言が数多く出されたのは、主に98年以降という慢性期である。


◇◇◇◇◇◇

どうして日本に多くの提言が出されたかといえば、日本は特殊な病態に陥ったからだ。
それは、「デフレ」である。

白川総裁が経済環境の条件等について正確に診断できているからこそ、上記講演の如き発言をしたのであろう。それなりの自信がおありのようであるから、是非とも「米国はデフレである」「EU圏はデフレである」「英国はデフレである」といったことを明らかにしてもらいたい。

日本の「デフレ」という経済環境に対して、それをまず改善すべきである、という主旨の提言が出されることは、不思議でも何でもない。欧米の中央銀行は、現時点で重点的にやるべき政策として、『そんな提言を必要とはされていない』のだ。だって、まだデフレじゃないんだもの。今後、そういう状況に陥る可能性はないとは言えないけれども、物価水準が持続的に下がり続けるという現象は、欧米で広く観察されているとも言えないのではないか?


そもそも、デフレに対する処置として出された提言の多くは、「バブル崩壊過程における急性期の処方(=緊急避難的経済政策等々)」という政策目的ではなかろう。日銀は、デフレという病態への治療法と、バブル崩壊という急性期ショックの治療ということの、区別がついてない。意味の違いも考えられてはいないのだと思う。

喩えていえば(幾度も喩えて恐縮ですが)、デフレは糖尿病みたいなものである。個体(=その国の経済)の基礎的条件に大きく影響する病状であり、他の疾病にも広汎に悪影響が波及するものなのだ。いくら狭心症の治療をしようと思っていたって、糖尿病の状態が重症化していくと、心血管系イベントの発生リスクは高まり、結果的に心筋梗塞を招き易くなってしまうからだ。だからこそ、緩徐に進行した血管狭窄が遂には急性心筋梗塞(=97年の山一や拓銀破綻等)を招いたようなものなのだ。それは糖尿病であるところの、デフレをきちんと治療(コントロール)しなかったからだ、ということ。

不良債権が増加してゆくというのは2000年代になっても出ていたわけだが、これもデフレがあったが故であり、それは糖尿病における末梢循環不全で下肢壊死が起こるのと同じようなものだ。どうして壊死巣(学者などからゾンビとか呼ばれていた企業群だな)ができてしまうかといえば、血流が悪い(資金需要があるのに金が流れない)からであり、それは糖尿病(デフレ)に起因する変化だからさ。しかも壊死巣は広がるのだ。そうして、下肢切断とかになってしまうのだろ。それが、日本の「失われた20年」に起こったことだ。

だから、糖尿病と止めろ=デフレを止めろ、という提言は、最優先課題であり政策目標としては、まず「糖尿病という基礎的疾患をきちんとコントロールせよ」というところに行き着くに決まっているのだ。それをしなかったのは、日銀である。

<指摘3>
デフレに対する対処と、バブル崩壊という金融システムの危機に対する対処は、異なっている。白川総裁の挙げている提言は、どれもがデフレ対策という意味合いのものであり、今回の欧米の金融危機対応に必須のものではない。



バブル崩壊後、日本経済はまだ心筋梗塞にはなっていなかった。あの時に、正しく診断でき、適切に対処できていたなら、ここまで酷い状態にはならなかったのだよ。未だに糖尿病が治って(コントロールできて)いないからこそ、繰り返しデフレに戻ってしまうのだろ。だから、何度も言うようだが、「まだ治ってなんかいない、90年代からこれまで、デフレが治ったことなんか一度たりともなかった」んだよ。

そういう認識が、日銀には決定的に欠けている。その上、逆に海外で自慢とは、厚顔無恥も甚だしい。

日銀の対応が間違っていなかった、ということに海外エコノミストが同意したのではないぞ。金融システムの危機に対しては、「金利引下げ」という通常の政策手段を使い切った後には、「有効なうまい手」を探し出すのが難しい、ということは判った、というだけだ。90年代後半の日銀が、本格的な金融危機局面を迎えた段階(98~99年)で、「有効なうまい手」を見つけられなかったことを非難できないかもしれない、ということだけだろ。それは、日銀の政策(治療法)が正しかった、ということを正当化するものではない。


量的緩和政策だって、(これも幾度か喩えに用いたが)輸液しておいた、というだけであって、これで心筋梗塞がよくなるとか、糖尿病が治るとか、そういう話ではないことは当たり前だろ?
当座預金残高を一定以上に維持するということは、ある程度のボリュームを保つように努力しますよ、という約束の姿勢をみんなに見てもらえたというだけであって、これで病気が治るわけじゃない。アホか。政策効果がイマイチだった、とか、言う以前の問題。

けど、輸液は必要、というのは、循環維持には役立たないわけじゃないから、だ。病因に対しては、ほぼ無効に決まってるだろ。そういう診断能力が絶対的に乏しい、って百万回言ってるんだろ。

いい加減、学習してくれよ>日銀&白川総裁


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