オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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大嶺が帰ってきた

2009-08-25 23:10:37 | 千葉ロッテ

 

今日は親子ゲームですので休みを取って若手の成長ぶりに目を細める、といった1日を過ごしたかったのですが、今月に夏休みを取得した身としては無理な相談です。
それならナイターの試合開始からと意気込んではみたものの、球場に着いたのは3回が終わったところでした。

ただタイミング的には大嶺が調子を上げてきたところでしたので、ちょうどいい感じのときに席についたのだと思います。
久しぶりの1軍での登板とは思えないぐらいに、大嶺は落ち着いたマウンド捌きを見せてくれました。
ストレート、変化球とも低めに集まっており、コントロールが抜群とは言わないまでも、四球で破綻をするような気配はありませんでした。
140キロちょっとのストレートは迫力に欠けましたが、それでも8つの三振を奪ったことからも分かるとおり、ボールに伸びがあり多くの空振りが取れていました。
だからこそ落ちるボールが有効に決まったのだと思います。
本音を言えば145キロを越えるストレートをビシバシと投げ込んで欲しいものの、今は勝つことが出来るスタイルを身につけることが優先をされますし、その型さえ身につけばストレートも自然とスピードが乗ってくることでしょう。
過度にコントロールを気にして手投げになるのではなく、今日のように腕をしっかりと振れているのであれば、今年はスピードにこだわる必要はないと思います。
最終回にあと1人となってからバタバタとしたのは、2軍では100球を越えるような球数を放ることがほとんど無かったことによるガス欠でしょうから、やはり今の2軍の投手育成方針には疑問を覚えてしまうのですが、何はともあれ今日の137球を投げての完投勝利は大嶺にとっては大きな経験になったことでしょう。
打たれたのは真ん中の甘いボールであったとは言え、逃げて四球で崩れるよりはマシですので、あまり気にすることはありません。
次の登板でも臆することなく、自分のボールに自信を持ってストライクゾーンに無心に投げ込む大嶺であって欲しいと思います。

その若い大嶺を、今日はバックが盛り立てました。
同じく今日に1軍復帰を果たした今江や、西岡の踊るような好守も大嶺を救いましたが、里崎や西岡らがこまめに大嶺に声をかけていた姿を見て嬉しく思いました。
特に里崎がああいった行動を見せるのは久しぶりのような気がしますし、何だかチームが一丸となって大嶺とともに戦っているようにも見えました。
こういった結束力があればチームも下位に低迷をすることはないはずなのですが、明日も同じようなチームの雰囲気になるのかどうか、今後に向けて大きなポイントになります。

小野と唐川にも分けてやれ。

力が落ちる投手に対しては嵩にかかった攻撃をするのがロッテ打線の特徴とは言っても、2試合連続で完封負けをした次の試合で2桁得点ですから、何とも複雑な心境です。
相手が四球とエラーで勝手に崩れてくれたこともありますし、次の日本ハム戦を意識してか、あるいはロッテを舐めたのかは分かりませんが、先発も中継ぎも主力を温存したソフトバンクとしては悔いの残る試合ではなかったかと思います。
それでも地元に帰ってきたことによる気持ちの安らぎと、今日の勝利によって体がほぐれてくれるのであれば、相手の失態であっても素直に喜ぶことができます。
ミスを見逃さずにつけ込んでたたみ掛けた攻撃に、今日は拍手を送りたいと思います。

しかしながら明日の予告先発が発表になった際には、小林宏の名に拍手を送るファンは誰一人いなかったと言ってもよいぐらいの、しわぶきひとつない静かなスタンドでした。
小林宏が中継ぎに配置転換との報道も一部にありましたし、清水の登録抹消は首の違和感とのことで急な話だったと思われるのですが、まだ小林宏を先発で使うのかと、そう思ったのは私だけではないと思います。
先日の西武ドームでのスタンバイを見れば小林宏にも中継ぎでの起用の話はされていたと思われますし、そうであれば清水の代わりは2軍から抜擢をするべきだったと考えます。
小林宏も中途半端な心境でしょうし、これで明日に滅多打ちに遭うようですと次の選択肢は浦和行きしかありません。
ポリシー無き選手起用がどういった結果になるのか、明日の小林宏のピッチングが注目をされます。

今日はズレータがチームに復帰もとの笑える報道がありましたし、橋本将にスリーバントを命じたバレンタイン監督の迷走もありましたし、オーティズの好守にわたるオーティズらしさも見せてもらいましたので、なかなか充実をした1日でした。
個人的に今日はちょっとしたイベント日でしたので、試合にも勝つことができましたし、久しぶりにいい気分で床につくことができそうです。



1 2 3 4 5 6 7 8 9
ソフトバンク 1 1 0 0 0 0 0 0 3 5 10

2

千葉ロッテ 2 1 0 4 3 0 0 0 X 10 8 0


◆8月25日(火) 千葉ロッテ-ソフトバンク16回戦(8勝8敗、18時15分、千葉マリン、15,246人)
▽勝 大嶺 11試合3勝5敗
▽敗 高橋秀 8試合1勝3敗
▽本塁打 西岡9号(高橋秀)、里崎9号(高橋秀)

▽バッテリー
千葉ロッテ 大嶺―里崎
ソフトバンク 高橋秀、陽、甲藤、佐藤―田上

 

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四国巡り 史跡巡り篇 徳島の巻

2009-08-25 00:51:35 | 日本史

 

那賀川から徳島に戻り、まずは徳島城を訪れました。
徳島城は天守閣や櫓などの遺構は残されておらず、最初に訪れたときにはただの公園に過ぎませんでした。
その後は多少の整備がされて綺麗になってはいますが、往時の繁栄を思わせるものはありません。

それでも1989年に鷲の門が再建をされたことは喜ばしく、表御殿外郭の門であるために現在の城跡からちょっと離れたところにあるのですが、それなりの偉容を誇っています。
周りがコンクリートの地面となっているのは、場所が場所だけに仕方がないでしょう。

城の周りは堀と石垣に囲まれており、下乗橋や数寄屋橋などが架けられているのですが、そもそもこのあたりは表御殿や奥御殿といった平時の居住地の跡であり、天守閣があった場所からは離れた地となっています。
本丸や二の丸、三の丸があったのは現在の城山の辺りであり、城跡としての整備はされていないとのことでした。

城内には蜂須賀家政の像があります。
戦前は蜂須賀正勝の甲冑姿の像だったそうですが、戦時中に供出をされてしまい、戦後に作り直された際には藩祖ということで子の家政に取って代わられてしまいました。

同じく城内にある徳島城博物館です。
それなりの規模を誇る展示がされていますが、そもそも徳島城が戦国末期の築城であったために、私が興味のあるようなものが少なかったのは織り込み済みです。
蜂須賀家の墓所のある興源寺への行き方を、広域地図のコピーを取って教えてくれるなど、係の方にはとても親切にしていただきました。

その興源寺です。
徳島城からそれなりに離れており、迷うには充分ぐらいの距離がありましたが、いただいた地図のコピーとポータブルナビのおかげで無事に到着をすることができました。

墓所には歴代藩主の墓が整然と並んでおり、きちんとした整備がされているようです。
水辺もあってか親子連れの散策の地になっているようで、小さな子どもの歓声が響き渡っていました。

藩祖である蜂須賀家政の父、正勝の墓は別格なのか、ちょっと離れたところにあります。
蜂須賀正勝は豊臣秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた頃から仕えており、蜂須賀小六の名の方が通りがよいかもしれません。
講談で盗賊のように描かれていることで豪傑のイメージがありますが、むしろ謀臣に近い役回りであったようです。

その正勝が秀吉から阿波一国を賜るものの、老齢を理由に子の家政に譲ったことで、徳島藩の藩祖は家政ということになります。
伊達政宗をして「阿波の古狸」と評されるほど父に劣らない老練な手腕を見せ、また豊臣家には忠誠心があったようで、関ヶ原の戦いでも西軍につくなど微妙な動きを見せます。
東軍が勝利したために家督を子の至鎮に譲って隠居をしますが、その至鎮が早世をしたことで孫の忠英を後見し、81歳まで生き抜くことになります。

家政の子の至鎮が、徳島藩の初代藩主です。
徳川家康の養女を正室に迎えていたこともあり、東軍として関ヶ原の戦いに臨むことになります。
その功績もあって淡路を加増されて25万石余の大封を得ますが、病弱であったために僅か35歳で世を去ります。

その後は忠英、光隆、綱通、綱矩、宗員、宗英、宗鎮、至央、重喜、治昭、斉昌、斉裕と続きますが、短命な藩主が多く途中で松平氏、佐竹氏から養子を取ったことで、現在の当主には正勝の血は流れておらず、斉裕が徳川11代将軍の家斉の子であることから、徳川将軍家に連なる一族となっています。
何だかちょっと残念と言ってしまうと失礼にあたるかとは思いますが、その思いは拭えません。


【2009年8月 四国の旅】
四国巡り
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