オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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四国巡り アクシデント篇

2009-09-07 01:21:43 | 独り言

 

旅にはいろいろとアクシデントは発生をするものですが、今回のように怪我をするのは久しぶりです。
過去に怪我をしたのは1度だけで、やはり四国を訪れた際に大洲城で転んだものです。
大洲城の台所櫓を写真に撮るためにカメラを構えて、しかし構図に入らずにファインダーを見ながら後ずさりをしたところ石に躓いて後ろ向きに倒れて、思わずカメラを壊さないように反射的に守ったために後頭部を地面に打ち付けました。
当時は今とは違って土が剥き出しで石がごろごろと転がっていたためにこぶが出来てしまい、大洲病院まで行って診てもらって、湿布を貼られるというみっともない目に遭いました。

今回は尾てい骨と左手首の骨折です。
今まで骨折をしたことは無かったはずなのですが、午前に尾てい骨で午後に左手首と、1日に2回に分けて複数箇所をやってしまいました。

最初の悲劇は岡豊城跡で発生をしました。
史跡巡り篇でもご紹介をしたとおり、岡豊城跡は土塁に石段といった昔ながらの姿を残しています。
前日に雨が降ったために石段は濡れており、そうでなくても枯れ葉や苔などで滑りやすくなっていることは承知をしていたのですが、詰から三ノ段に下りる石段でやってしまいました。
一瞬宙に浮いた状態になってそのまま落下をして石段の角に尻を打ち付けて、暫くはうずくまって動けないぐらいの衝撃がありました。
のけ反る感じで落ちたせいか打った位置はやや背中よりであり、そのためか座るなどでは痛みは生じないのですが、寝るときなどに体重をかけると激痛が走ります。
今はようやく症状も和らいできましたが、それまでは寝返りで目が覚めることもしばしばでした。

次の悲劇は同じ日の午後、高知県庁前で起きました。
高知城を出た頃から雨が降り出したために、傘を片手に自転車で歩道を走っていました。
すると向こうから携帯を片手に前を見ずに走ってくる自転車が突っ込んできたために慌ててハンドルを左側に切ったのですが、折からの雨で濡れた歩道にスリップをしてしまい、さらには悪いことに雨が降ってきたためにカバンをビニール袋にくるんで前かごに入れていたことで、その重さで倒れる勢いが増すという悪条件が重なります。
そのまま車道に投げ出されて、右側の歩道を走っていたために倒れる瞬間にこちらに向かってくるライトバンが目に入り、冗談抜きで死んだと思いました。
それでも無意識についた左手で体を支えたためにギリギリでぶつからずに済んだのですが、車が通りすぎていく風圧をこめかみに感じましたので、まさに間一髪というところです。
歩道を歩いていたおばちゃんの悲鳴が響き渡りましたし、周りからたくさんの人が駆けつけてくるというちょっとした騒ぎになりつつも、件の自転車に乗っていた兄ちゃんやすれ違った車は既に影も形もないという、まあ何とも言えない状況ではありました。
そもそもブレーキもかけずにすり抜けていく車も車なのですが、自分が思ったよりも実は間が離れていたのかもしれません。
トップの写真のようにズボンが破けたり指の擦り傷で済んだと思っていたところが、実は左手首が折れていたというのは既にご報告をしたとおりです。

そんなこともありましたが、無理な動きをしなければ強い痛みはなかったために旅はそのまま続けたのですが、むしろ辛かったのは虫さされです。
私が行くような場所は山城だったり墓所だったりと、うっそうとした草むらなどの蚊の根城のような場所が多いために、写真を撮るために立ち止まると格好の餌食となります。

足を中心に数十箇所を食われてしまい、しかもこちらは放っておいてもかゆみを生じるために、手首や尻よりもダメージはこちらの方が大きかったです。
虫よけスプレーを買えば解決をすると気がつくまでは、足踏みをしながらカメラの構図を決めて、撮る瞬間だけ動きを止めるという無駄な作業を繰り返していました。
高野山に行ったときにも同じような蚊の攻撃に悩まされたことが学習できていなかったという、まあ情けない話ではあります。

その他では、やはり雨になります。
幸いにも高知では大きな問題にはなりませんでしたが、松山や今治では予定を狂わす最悪の天候になってしまいました。
それでも電車が遅れるなどの影響はなかったのですが、最終日に岡山から帰ってくるところで山陽本線の上郡で線路が冠水をしてしまい、手前の三石までの折り返し運転となっていると聞いたときには頭を抱えました。
どうやら台風の影響で岡山や徳島では土砂崩れで死者も出たようで、運休になった列車も多かったのですが、こりゃ帰れないかと思いながらも時刻表を見ると岡山の次の東岡山から赤穂線が出ており、上郡の向こうの相生に繋がっていることに気がつきました。
慌てて駅員に聞いたところ赤穂線はまだ通常どおりに運行をしているとのことでしたので、ダッシュでホームに向かってぎりぎりで飛び乗りました。
途中で止まってくれるなと祈っていたのですが、幸いなことに無事に相生まで抜けて、結果的に予定より1時間ほどの遅れはありましたが、その日のうちに船橋までたどり着きました。
雨は岐阜のあたりで止んだのですが、それまではまさに豪雨といった感じで、途中の河川などはそれこそ氾濫をするのではないかというぐらいの荒れ具合でした。
それにしてもあそこで赤穂線に気づかずに復旧を延々と待っていたらと思うと、諦めずに他の方法を探った自分をちょっと誉めたい気分です。

そういう意味では高知に向かう途中でも、似たようなことがありました。
四国バースデイきっぷはグリーン車や指定席が乗り放題であるのですが、事前に予約をするようにと言われていたために、それなりの予定できっぷを取っておきました。
しかし物事は予定どおりに進むはずもなく、今回は歳も取ったこともあって時間的な余裕を持って計画を立てていたために大半が前倒しで列車に乗ることになります。
そのために予約を取り直す必要があるのですが、JR阿波池田駅で同じようにグリーン車の列車変更を申し出たのですが、あっさりと断られました。
空きが無いのかと思ったのですが、どうやら特急列車が車両故障でダイヤが乱れており、グリーン車を含めた指定席の発行のストップの指示が出たとのことでした。
なぜダイヤが乱れたら指定券の発行が止まるのかが理解できず、理由を聞いてもはかばかしい答えは返ってきません。
指定席を自由席に振り返るつもりなのかと聞いてもそうではないとの答えで、業を煮やして「じゃあ指定席を空けたまま走るのか!」と怒鳴ったところ、困った担当者が駅長に相談をして、ようやくグリーン券を発行してもらいました。
別にごり押しをしたつもりはないのですが、結局は声が大きいと要求が通るという典型的な例であり、同じように指定券の発行を断られて諦めた人も多いでしょうから、満員の自由席と空席の目立つ指定席を見ながら複雑な気分になりました。

勢いよく下り坂を自転車で駆け下りてみれば道を間違っていることに気づき、同じ道を汗しながら登っていったなんてこともありましたし、興奮状態でお土産を買いまくり、気がついたら荷物が重くなって後悔をもしました。
しかしそんなことも旅の思い出と言いますか、そういったアクシデントを楽しむのも旅の醍醐味だと、終わったからこそ言える言葉ではあるのですが、そう思う今日この頃です。


【2009年8月 四国の旅】
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