カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

12年前。

2018-11-19 06:39:48 | Weblog

12年前の11月16日に〈ヨブ記〉と題して日記を書いていたのを、今朝、久しぶりに読み返した。そうか、こういうことを当時思ったのかとおもいながら。今日も、これからしごと。

 河野先生の第一歌集『森のやうに獣のやうに』の中に次のような一首があります。

休学と決まりし午後にぽつつりとヨブ記を読めと主治医が言へり  河野裕子

 雁書館から出ている古谷智子著『河野裕子の歌』によれば、「『ヨブ記』は聖書の中で、正統主義の『箴言』と批判主義の『伝道の書』を統合する位置にある。ひたすら信じるのでもなく、一方的に批判するのでもない生の混沌が説かれている。すべてを失いながら信仰を捨てることがなかったヨブ、苦悩のなかでおのがじしの生きて行く方向を拓いてゆくヨブに、少女であった河野はどんな思いを抱いたことだろう。(中略)河野が病に倒れたのは、学校の授業中だったという。そして主治医が多くを語らずぽつりとこう言ったのは、その年の夏、河野が高校三年生のある午後のことだった。」とあります。
 私が昔から敬愛し愛読している作家のひとり、遠藤周作氏は、その最晩年、病から来る堪え難い痛みにうめきながら、結局は実現されませんでしたが、『深い河』の次に手掛けたい小説は『ヨブ記』のような話だ、と身近なひとたちに語っておられたそうです。
 河野先生のこのうたを見るたびにそのことを思い出します。

***

 「ヨブ記」からすこし脱線しますが、上記の河野先生のうたの結句の「言へり」について、思うことを少々。

 河野先生の第三歌集『桜森』の巻頭の一首、

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり  河野裕子

 これは、河野先生の短歌作品を代表するうたとしてしばしば人びとの口吻(こうふん)にのぼる一首で、私にとっても特別に思い入れのある大好きなうたです。ここでも、さきほどのうた同様に、一首を閉じることばとして「言へり」が使われていますが、ここでの「言へり」からは、昔話の語り口風の「(と)言ったそうな。。。」のニュアンスが多分に感じられます。さきほどのうたと比較するとき、明らかにそのちがいが察せられます。しかし、ニュアンスが微妙に違うとはいえ、この「言へり」からは、ある意味「河野節(かわのぶし)」とでも言えるような、河野先生の彫啄されたことばだけが持つ独特な手触り感が、なにか刻印のようにありありと感知されるのも実感としては本当のことです。私は河野先生のうたを読むとき、そういうところにも惹かれます。

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