駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

駆けつけて、できることは

2016年11月25日 | 政治経済

              

 先日、駆けつけ警護が閣議決定されたと報道された。結局、最後は閣議決定で進めるのが安倍内閣の手法らしい。安倍首相は権力使用に長けており物怖じしないが、それは恐らく血脈のなせる技で、一朝一夕に身に付くものではないようだ。どういうわけか戦略にも優れており、周辺に百戦錬磨の策士が集まってきている。

 駆けつけ警護というのは、とても軍隊用語には響かない。駆けつけ介護や駆けつけ落語などの類造語も可能だ。善良そうな小野寺さんや華奢な女性の稲田さんを防衛大臣に充てたのにも、深謀遠慮があるのだろう。戦闘地で危機にある邦人救助を前面に出すのは野党も反対しにくい例を突破口に、武器使用を拡大してゆこうという戦略とみられる。

 南スーダンに駆けつけ警護に出かける隊長は全く隊員の損傷を心配していないと言い、反対する人は戦争に行くように危険だと声を上げる。そこには現実を直視分析した内容を棚上げにした、感触だけで踏み込んだ議論を避けて通そうとする戦略が透けて見える。

 なぜ、危険があるのを認めそれでも出かける必要があるというまともな議論ができないのだろうか。犠牲覚悟と言えば鬼の首を取ったように騒ぐ幼稚な人達が居るからだろうか。小さくても良い実を結ぶまともな議論をして欲しい。


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治勲さんは強かった

2016年11月24日 | 趣味

      

 北国では雪模様、当地も今朝は冷たい雨に風もあり、小学校一年生なら半べそのお天気であった。もう蛇の目の母さんが居るわけもなし、前期高齢者は肩口と裾を濡らして、やれやれと出勤してきた。

 治勲さんは強かった。囲碁電王戦でAIのDeepZenGoに二勝一敗で勝利した。趙さんはと言えるほど碁が分かるわけではないが、治勲さんの解説は最高に楽しく面白い。好きな囲碁棋士は数多いが、趙さんは別格で素晴らしい人だ。AIと思わず強い碁打ちと感じながら対戦できたと感想を述べられたが、そうした感性も勝因の一つだろうと推測する。

 不思議に思ったのはDeepZenGoが布石が強いということだ。将棋のAIは序中盤はさほどでもないが終盤が非常に強く、寄せに入るとトッププロ棋士でも勝てない。それは計算が出来る範囲に入るからだと理解していたのだが、碁では布石が強いというのはどういうわけだろう。どうもディープラーニングと言う手法が効果を上げているらしい。棋譜を並べるという勉強法は人間もやり、序中盤の力を付けるのに役立つようだが、人間は並べてもせいぜい数千局なのをAIは何万何十万と瞬く間に並べて学んでしまうらしい。そうして学んだものを参考に更なる妙手をひねり出すという。とんでもない奴だ。まあ出藍の誉れと思えば良いのかも知れないが、ちょっと恐い気もする。

 聞き手の吉原由香里さんはどうも解説の井山六冠にミーハーな質問をして、肝心の碁の解説が疎かになりそうで、イエローカードを出したくなった。まあ、碁に詳しくない人に興味を持たせる意味ではよいかもしれないし、井山六冠の人柄が窺い知れたのは良かった。

 趙さんはDeepZenGoは愚かしい手も打って人間味があると感想を述べていたが、愚かしいところがあるのが人間というのは言い得て妙で、人間の一番の特徴かも知れない。 

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亡くなった感じがしない患者さん

2016年11月23日 | 診療

                

 人間には相性というものがあり、何となく馬が合う患者さんが居る。Yさんご夫妻もそんな方達で、二十年以上毎月通ってこられた。夫唱婦随のご夫婦で、奥さんはマイペースのYさんに振り回されるところがあるようにお見受けしたが、苦笑いされることはあっても愚痴らしい愚痴はこぼされなかった。Yさんは元鉄道マンというのがなあるほどと感じさせられる几帳面さで、毎日血圧体重に体温まで測定し、ノートに記録して持ってこられた。診察前にそれを見せていただくのが儀式になっていた。DIYが得意というか趣味で、庭をいじりながら、あれこれ自宅も改造されていたようだ。

 Yさんのお父さんも長生きな方で、開業当初Yさんが未だ通い始める前に連れてこられ、一年ばかり診させていただいた。確か九十歳で亡くなられた。

 Yさんは八十五歳を過ぎられても、殆ど惚けることなく僅かに頑固になったかなあという程度だった。そんなある日、色々作ったものを処分しました。庭仕事も止めましたと宣言された。それは、否まだまだと申し上げにくいきっぱりとした宣言で、ああそうですかと驚いて聞いたことだった。それ以降、診察室の会話がちょっと減ったような気がした。一年ほどして足が浮腫始め少し息切れがするようになった。利尿剤を出してもあまり反応しない、カルテを見るとあと一年半で九十歳になられる。どうも上手くゆきませんのでと、心残りではあったがT病院に紹介させていただいた。

 半年ほどして亡くなられ、父が長い間お世話になりましたと遠方に住む息子さんが挨拶に来られた。Tさんの奥さんは息子さんに引き取られ北方の他県へ移ってゆかれた。あの年で住み慣れた土地を離れて大丈夫かなあと心配だったが、運命の巡り合わせでやむを得ない。

 自分で看取らなかったせいもあるだろうが、Yさんが亡くなった気がせず、時々この頃来なくなったなあと思っている自分に気が付くことがある。

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君知るや大陸の香り

2016年11月22日 | 小考

         

 今から100年ほど前、大正昭和初期の日本人はヨーロッパに行くのにシベリヤ鉄道を利用する人も多かったと聞く。来る日も来る日も車窓からはだだっ広い荒野が見えるばかりで、退屈呆れながらもやり過ごし、漸く着いたモスクワからベルリンやパリに向かったわけだ。

 不思議なことだが、多くの渡欧人は圧倒された広大な大地を忘却し、ベルリンパリロンドンからヨーロッパの文化の片々を持ち帰ってきた。勿論、ロシア文学にはある親和性があったようで、トルストイ、ドフトエフスキー・・は紹介され、音楽のチャイコフスキーにもファンは多いが、大地に対する感覚は不足していると見ている。

 私の知識不足かも知れないが、日本人は里山は得意でも、広大な大地は苦手というか、感覚が欠落しているようで、ユーラシア大陸の北半分に広がるロシアという広がりは十分理解していない気がする。それはアメリカ、中国、ブラジルに対しても言えて、ニューヨークとロス、北京と上海、リオとサンパウロには詳しく理解する感覚を備えていても、広大な大地への感覚は不十分ひょっとして欠落しているように思う。

 大男総身に知恵が回りかねと揶揄する理解では大男を理解出来ないのではないかと思う。各国に大使を派遣し長い歴史を持つ外務省の中に、大男である大陸を理解する感覚が醸成されているだろうか。そうした感覚を持っていたであろう佐藤優氏を手放す懐の浅さで大丈かいなと懸念する。

 足を踏んづけられても直ぐには痛みが分からず三十秒後に痛いと言うような奴は鈍いと小馬鹿にした感覚が万一あると、大地を擁する国を理解しきちんと交渉できないのではないか?。

 

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丸の内の秋

2016年11月21日 | 

          

 先週末東京へ出かけたせいか、くたびれて迂闊にも寝過ごしてしまった。以前にも書いた、丸の内はスカイスクレイパーが林立し、街路には緑も多く清潔で、皇居を背景に世界に冠たる機能美を誇る都会だ。

 恐らく明治の人が感じたのと同じような、素晴らしいという感慨を東京駅の丸の内側に降り立つと感じることが出来る。

 日本の素晴らしさを丸の内に見付けたと報告したい。

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