衰えは足からというのは本当のようで、歩くのが遅くなった。どうしてそれが分かるかというと、朝駅まで二十分で歩けなくなった。高々一二分のことだが、十分間に合うと思って出ると、改札から駆け足しないと電車に間に合わなくなった。歩くのが遅くなったのは徐々にのはずだが、自覚するようになったのは半年ほど前からだ。百メートル歩いて五メートルほどの僅かな遅れだから、駅まで歩く時間と言う尺度がなければ気が付かなかったと思う。
別に衰えは足だけではないのだが、歩行能力は分かり易い老化の尺度だ。孔子も十歳毎に境地を表現しているが、どうも四十、五十、六十、七十とキリがよいところで、人間は心持ちが変わるようだ。勿論、そう思うからということもあろうが、峠を一つ越えると昨日とは違うと感ずる。唯、人間は現在を尊重する知恵?を持っているらしく、まだまだこれから、老いてなるものかという気持ちも出て来る。
孔子の人生の人生指針境地表現は七十までだが、21世紀は八十、九十まであってもよさそうだ。時代が違うから三十にして立たず、四十にして惑い・・・七十にして矩を超える人達が溢れているし、四十にして**などと言っても何それと言われそうだが、21世紀版があっても良さそうだ。
呉智英さん辺りに考えて貰いたい。