駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

医療にも格差の時代

2016年11月05日 | 世の中

            

 ようやく秋らしい青空が見られるようになった。土曜日は電車も空いており最初から座れた。見慣れた光景になってきたが、半数近い人が携帯を弄っている。おじさんもおばさんまでも、ゲームをやっている。朝も早くから面白いのだろうか?おじさんを通り越してお爺さんの私にはどうもよくわからない。

 命だけは平等だというどこかの病院のスローガンある。成る程確かにそうだと思わされるけれども、露骨な感じもして直ちにそのまま首肯しにくい感じが残る。勿論、命に差があると思っているわけではないが、私を含めてどの医療者も目の前の患者さんにベストを尽くそうとしていると思うので、なんだかちょっと耳触りが悪いのだ。

 命は平等としても人の命は七十億を超えやがて百億に達しようとしている。単純に平等と言われても、多様多彩な背景に実現は難かしいと思う。平等に近づいたと説明してもそう感じない人が何十億と出てくるだろう。

  そして正確に書けば、平等にという医療者の思いと裏腹に、進歩している先端医療は格差を生み出し、それを拡大しつつある。それが現実なのだ、医療保険が利かない先端技術というものがあり、どんどん生まれ続けている。お金が無ければ、先端技術を持つ医療機関の近くに住んでいなければ受けられない医療が厳しく存在している。

 遺伝子解析が進み、素晴らしい先端医療が受けられそうに上辺の話題だけを誇張して報道する週刊誌は現実を伝えてはいない。アンジェリーナ・ジョリーには出来ても、同じ遺伝子を持つ日本人女性の95%には難しい話なのだ。

 心臓移植で募金という話を目にすることがあるが、実は心臓移植を待っておられる患者さんは増え続けており、万を超えやがて十万人に達しようという数で、募金という美談?には違和感を感じることもある。

 講演会で先端医療の話を聞いた後でビールを片手に、進歩について行けなくなりましたねえと相槌を打ちながら、同年配の医師と首を傾げる夜もある。

コメント (2)
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