駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

意識を巡る冒険

2015年01月26日 | 

            

 クリストフ・コッホによる「意識を巡る冒険岩波書店」を読んでみた。残念ながら私には新聞の書評ほどは面白く感じられなかった。

 科学としては少しまどろっこしいというかわかりにくい。それは意識を扱う科学が未完成未発達であることによるところもあるようだ。正しく理解できたかどうか分からないが、意識には視差(私の比喩的解釈)から生ずるメタ構造が関与しているらしい。決められた軌道から外れて行動するには知覚観測して軌道を修正する必要があり、そこから意識が生まれた可能性があるようだ。ちょっと飛躍するが岸田秀の言う本能の壊れた人間という捉え方に似ているところがあると感じた。

 科学者としての私的な心情の吐露は、評価は分かれるだろうが、極めて正直直裁なもので一般の人間にも理解できるものだ。共同研究者でありメンターでもあったフランシス・クリックの人物像は想像していた通りで、骨の髄まで科学者だったのだなと肯うことが出来た。

 不可分ではあるが自分を見る自分というか自分を知る自分が意識というものなのかも知れない。ソクラテスの「汝自身を知れ」からデカルトの「我思う故に我あり」、パスカルの「人間は葦である」、そして快川の「心頭滅却すれば火も又涼し」までこうしたことを言っているような気がする。

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インフルエンザ下火に

2015年01月25日 | 世界

             

 朝刊を取りに庭に出ると薄曇りで寒さもさほどでなく、穏やかな朝の空気が漂っていた。

 人間は平穏な日々の有り難さを忘れがちで、日々の些細なよしなしごとに神経をいらだててしまう。朝刊を見て生木を裂く非道に言葉を失い憤りを感じながら、自分は恵まれていると改めて無事の有り難さを噛みしめた。同時にこうした平穏を守り行き渡らせるために何かをしたいと思った。自分の仕事を真っ当にできる限り続けることが少しは役立つと考えることにしよう。 

 先週半ばからインフルエンザの患者が減り始め、土曜日は僅か四名だった。果たしてこのまま終息するかどうかはっきりしないが、多少の戻しがあっても一月半ばのような連日百名の患者ということはないだろう。

 患者数の移行を解析すれば急峻な富士山に似た形になる。新しい感染者から新たに何人の感染者が生ずるか、そして感染感受性がどう変化するかを知れば、時間経過と患者数の動向は予想できる。経験的に前線の臨床医はピークは二週間以上続かないのを知っているから、もう少しの辛抱と頑張ることが出来る。雨が降れば終息が早まるのも、経験から学んでいる。

 これで患者数が二割増し程度の通常の冬期診療に戻れるとほっとしている。よくインフルエンザが流行れば大変でも儲かるから良いだろうとおっしゃる方がおられるが、患者数ほどは収入は増えない。というのは忙しすぎて通常の検査が出来ず、一般診療の単価が下がってしまうからだ。それは時に病気の見逃しに繋がるので、とても神経を使う。

 日曜日はもう若くない働き手には欠かせぬ安息日だ。

 

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気分の晴れない夜

2015年01月24日 | 世の中

          

 アギーレジャパンが負けた。「まさかの敗退」などという見出しは止めて欲しい。本当に残念だが、決してまさかではない。UAEは良いティームそして強かった。敗退は大いにあり得ることなのだ。

 まさかの負けという表現にどこか底意地の悪さと物事を皮相で処理して済まそうとするマスコミの物足りなさを感ずる。

 きつい言葉だが、勝負に涙は無用、申し訳ないは不要。

 中にはきちんと色々な角度から敗因を分析した報告もある。ノムさんも負けに不思議の負けなしと指摘している。紙一重の戦いをどうすれば勝ち抜いて行けるか、また作戦を考え直しトレーニングを積んで欲しい。

  サッカーに限らず、考え踏み込んだ報道をと願う。音もなく人質の身代金要求の期限が過ぎた。政府の全力の内容は何だったのだろうか?。人命尊重とテロに屈しないという姿勢は相容れないところがある。交渉には手の内を隠す必要があるかもしれない。しかし、具体策はともかく、政府がどういう姿勢で望んだのかを国民に知らせる義務があると思う。誰が人質になっても同じだろうか、要求額が低くても同じだろうか、イスラム国にパイプのある人が皆無のはずはないと思うのだが、交渉はあったのだろうか。よくわからない。こうした事実は秘密保護法を盾に全力を煙幕に、安陪内閣のカーテンの奥に留まるのだろうか。

 この事件は非常に多くの教訓を残すだろう。決して一言で片付けられる問題ではない。様々な角度から多彩な意見議論が展開されることを心から願う。

 

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それってどういう意味

2015年01月23日 | 政治経済

                  

 イスラム国誘拐身代金要求に安倍首相は総力を挙げて対応するよう指示を出したと報じられている。

 「ああそうか」とも「おおなるほど」とも思わない。

 それってどういう意味と聞きたくなる。様々な意見に対応しての表現と思うが、具体的にはどのようにどこまでやれという指示なのだろうか。

 鋭意とか可及的速やかにとか最善をとかいう言葉はいつも楯や煙幕に使われてきた。忘れっぽい日本人には有効でも、忘れない海外の人達にはどうだろう。それに時間は極めて限られている。

 救出に全力と二百億を用意しているのだろうか。それとも全力を挙げて安倍内閣の威信が傷つかない方策を探っているのだろうか。まさか走り回るだけで形の対応しか出来ないということではないだろうな。

 危険は覚悟の上の行動、自己責任だから、悪いがテロとの取引には応じない。というのも一つの考えだろうし、金で済むなら二百億はベラボーだが喩え無謀な人達でも日本人の命は救わねば払おう。というのも一つの考えだろう。

 世界の現実の空気に晒されて、異質の危機にどう対応するか。世界が注視している。日本人に通じるかもしれない振りは通じない。

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Mさん、ごめん

2015年01月22日 | 診療

               

 今朝は冷たい雨が降っていた。風がないので未だましだが、駅まで歩くのは楽ではない。冷たい雨の日はいつもおしゃべりな女の子達も口数が減るようだ。みな黙ってプラットフォームに立っている。

 医院に着いて、空調を入れ窓を少し開け、朝刊を待合室の椅子に置いて玄関を開ける。職員が来るまで十五分ほど、診察開始まで小一時間あるのだが、順番取りに診察券を早めに置きに来る患者さんや家族が居るのだ。

 たかだか十五分ほどだが、奥の診察室でコーヒを飲みながらキーを叩くのが日課となり、これは心休まる一時なのだ。どころが、時折診察券を置きに来た患者さんが、大声で「おはようございます」と誰か居ないのかと奥まで入ってくることがある。やむなく「なんでしょう」と対応するのだが、昨日はこのところの混雑診療で疲れていたせいもあって、つい声を荒げて「何ですか」と怒気をを含んで答えてしまった。院長が出てきたので驚いたかMさんは「いえ、あの今日血糖検査だったのですが朝ご飯食べてしまったんです。次の診察の時でもいいですか」と小声で聞く。「かまいませんよ」と短く答えて診察室に戻った。

 診察の時Mさんは「先ほどは申し訳ありません。」と謝罪された。私がむっとしたのに気付かれていたのだ。「いえ、そんな」とお答えしたのだが、修行の足りない自分に嫌気がさす一瞬でもあった。患者さんに親切にと思っていてもできないこともある。

 そう思いつつ、患者なんてみんな我が儘だからと言う医者や、患者さんにはいつも丁寧親切にしていますなどと言う医者にもなりたくない。

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