クリストフ・コッホによる「意識を巡る冒険岩波書店」を読んでみた。残念ながら私には新聞の書評ほどは面白く感じられなかった。
科学としては少しまどろっこしいというかわかりにくい。それは意識を扱う科学が未完成未発達であることによるところもあるようだ。正しく理解できたかどうか分からないが、意識には視差(私の比喩的解釈)から生ずるメタ構造が関与しているらしい。決められた軌道から外れて行動するには知覚観測して軌道を修正する必要があり、そこから意識が生まれた可能性があるようだ。ちょっと飛躍するが岸田秀の言う本能の壊れた人間という捉え方に似ているところがあると感じた。
科学者としての私的な心情の吐露は、評価は分かれるだろうが、極めて正直直裁なもので一般の人間にも理解できるものだ。共同研究者でありメンターでもあったフランシス・クリックの人物像は想像していた通りで、骨の髄まで科学者だったのだなと肯うことが出来た。
不可分ではあるが自分を見る自分というか自分を知る自分が意識というものなのかも知れない。ソクラテスの「汝自身を知れ」からデカルトの「我思う故に我あり」、パスカルの「人間は葦である」、そして快川の「心頭滅却すれば火も又涼し」までこうしたことを言っているような気がする。