90才を過ぎた余命幾ばくもない患者さんの採血検査をするのは最小限にしている。出来ればしたくない。それでも、熱が出たり変化があれば外からでは分からないこともあるので、採血することもある。Yさんは身寄りも無く、一年前から寝たきりで日に三回訪れるヘルパーさんの介助で生存している。半年前から徐々に発語は減り最近は泣き声のようなうめき声を出すだけだ。往診に行くと、生活保護だから、古びた二間の木造アパートに独り寝ている。
自力で来院出来た頃はよく「先生、長生きしすぎた」。と泣かれた。不運は重なるもので、離婚した息子さんはがんで亡くなり、頼りのお孫さんも交通事故が元で亡くなり、慰める言葉も無かった。
もっと早く亡くなるかと思ったが寒い冬を切り抜け、暑い夏も切り抜けそうである。診察をしても血圧を測定しても無反応であったが、採血をすると突然「痛ーい」。と大声を出されので、びっくりした。看護師が「直ぐ終わるから」。と言ってもわかるわけはなく、大慌てで採血を終える。そうは言っても衰弱した超高齢者の採血は容易ではなく、ごめんごめんといいながら血管を探らねばならず、二三分は掛かってしまう。
一体お前は何をしている、今更白血球数や肝腎機能がわかったところで何にも出来ないじゃないかという声が聞こえる気がする。それでも、ヘルパーさんに夕方熱が出て栄養剤を殆ど飲みませんと報告を受けると、反射的に採血をしてしまうのだ。
時間外の往診にはやむを得ず独りで行くが、日中の往診には看護師を連れて行く。勿論、独りで往診出来ないわけではないが、処置の介助だけでなく心の支えにもなるのだ。Yさんの採血など独りでは負担が大きい。崩れそうな陋屋に意識朦朧とした青白い老婆が横たわり、聴診をしても触診をしても無反応だったのが、採血をしたら突然大声で「痛ーい」。と叫びだせば、独りだったら逃げ帰ってしまいそうだ。