駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

まず見出しを変えよう

2012年03月30日 | 小考

   

 新聞週刊誌の編集者や記者は記事の見出しに知恵を絞っているだろう。彼等は如何に魅力的に興味を引くように、見出しを書くかに神経を尖らせているはずだ。確かに少ない字数に人の眼を捉える言葉を巧みに組み合わせる技術に感心する。

 しかし、今は両刃の刃の悪い面が出てきたと警告したい。それは過ぎたるは及ばざるがごとしで、過大、極端、単純化の表現は読者を誤らせてしまう。

 見出しだけで中身を読まない人も多いだろうし、見出しの予断に捕らわれて中身を読む人も多いだろう。こうした見出しの弊害は、消費税と原発という目下の重大な政治的問題の単純化に直截に表れている。上げろ上げるなあるいは止めろ止めるなといった単純な見出しと論調は、問題の本質的な理解を妨げる。集団的思考停止と視野狭窄ほど怖いものはない。巻き添えはまっぴらごめんだ。

 原子力発電が人間にはきちんと制御できない技術であるということ、使用済み核燃料は燃え滓のように見えても放射性物質であり続けること、そして万一重大事故が起これば人が住めない広大な土地(最悪では地球規模)が出来ることをまずきちんと理解してから議論を始めなければならない。

 例えば、ちょっと飛躍するがなぜ放射性物質を含んだがれきを拡散させようとするのか、このような踏み絵もどきの情緒的な方策でよいものだろうか。全国に散らばらせるよりも、いみじくも死の街と表現された何世代も人の住むことのできない土地に集めた方が距離も近いし賢明のように思う。

 危険で人類に完全な制御は不能な原子力発電であることをきちんと理解した上でどうするかを考えるように導くのがジャーナリストの仕事だと思う。怖い直ぐ止めろと言うヒステリーも、平和とか清潔なとかいう修辞で臭いものに蓋をしてゴリ押しする厚顔無知も禍根を残す。

 消費税も同じ轍、上げろ上げるなと言っても未来永劫上げるななどと誰も言っていない。今消費税を上げることが財政改善に繋がるのかどうかを見極めなければ、その意味合いをきちんと理解したうえでなければ、どうするか決めることはできない。勿論、明確な答えを出すのは至難の業だろうが、いろんな立場の専門家に何十時間も議論してもらい、それを繰り返し報道したらいい。問題が難しいからと言って単純化して好き嫌いの権力闘争にすり替える様な報道は判断を誤らせる。

 原発や消費税と言った難題は決して一言では片付かないことを、最低限ジャーナリストは伝える義務があると思う。

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