副作用は本作用以外の悪しき作用という意味に使われるのだが、福作用は思わぬ楽しい余録のことだ。
ブログを始めたきっかけはなんだか面白そう、ワシも発信してみようというミーハーなのものであったが、継続は力なりと続けてきたら福作用がたくさんあった。
物言わぬは腹ふくるる業なので、誰かに読んでいただけるだろうと例えば「何が主権侵害だ、他権を侵害して衛星ごかしのミサイル発射は許せん」。と書くことができる。
魚釣りに似てどなたに読んでいただけるかという期待の楽しみもある。釣れなくても楽しい、外道でも釣れれば嬉しい。
地図中毒で、暇な時に日本地図や世界地図を広げ、ふむふむと眺めているのだが、ブログ友がお住まいのところとなれば一層興味も湧き夢も広がる。未見の方でもいつかはお会いしてみたいと老後の楽しみも増えた。
文章を書くことは認知進行をある程度食い止められると実感している。たとえキーボードでも文を書くことは脳細胞の刺激になっているだろう。
思わぬ本を読むようになった。例えば広井良典さんの「コミュニティを問いなおす」など以前なら手にしなかったと思われる本を読むことができた。調査統計から心の問題に踏み込んだコミュニティ論(何処まで理解できたかは怪しい)に目を開かれる思いがした。
私には多少の副作用はあっても思わぬ福作用が溢れるブログ連録だ。