昨日のNHK杯、将棋は渡辺竜王が広瀬王位に貫禄勝ちしたのだが、戦形が相穴熊で低段者の私には正直、あんまり面白くなかった。どうも穴熊の面白さがわからない。おそらく同じような感想を持たれた視聴者も多かっただろう。尤も穴熊愛好者は増えているようで、見るだけ将棋の私と違い、実戦派には参考になったと言われる方が居られるかも知れない。
大山先生が御存命なら、NHK杯の相穴熊は褒めないと思う。苦言を呈されたかもしれない。それだけファン心理を御存じで、ファンのことを考える人だった。アマチュアには優しくプロには厳しくは、将棋だけでなく多くの仕事について言えることだろう。大山十五世名人は本当のプロだった。嘗てリトル大山と言われた渡辺竜王はそれを継ぐ人かも知れない。
碁の方は勝負の内容はさほど白熱せずもう一つだったが、解説が面白さで将棋の米長の好敵手、否上回る趙 治勲だったので楽しめた。知念さんに肩入れして嫌味なく、初心者にもわかる解説は素晴らしい。
こうした発言は顰蹙を買うかもしれないが、知念さんは美しく魅力的ではっきりいって色っぽく、ルール違反ではないかと思ったほどだ。これで女流棋士が居なくなってしまった、とても残念。
落合監督の中日が日本シリーズに出場する。プロ野球ファンでなくなって久しいが、遠い昔の中日ファンとしては嬉しい。
落合は孤立を好むせいかサービス精神の欠如からか記者受けが悪く、実際よりも不当に低い評価がされてきたという印象がある。それは彼自身の社会性や協調性の乏しさにも多少の原因があろうが、丁寧な反応がないあるいは愛想が悪いことに低レベルで反発するマスコミ取材陣に主因があるような気がする。
公共性ということを考えれば、個人的な好き嫌いが記事の内容に大きく影響することには釈然としないものを感じる。たかがスポーツという考え方があるとしても、全ては繋がっているので、燕雀の意向で鴻鵠の行く手を曇らせることは避けられないものかと思う。
何度も書いてきたことなのだが、人物や物事は一言では言い表せない。記者による評価形容よりも、足跡と内容を積み重ねて報ずることがマスコミの本筋だと考える。
「オレ流」というのは鮮やかな切り口ではあるが、キャッチフレーズは含羞の人を偏屈に投射し、記者の独断をばらまく危うさを孕んでいる。
落合は個性的で独善のようだが、実はもっと普通の人ではないかと私は観測している。
四か月ぶりにK子さん登場である。確か耳鳴りがすると来院して市立病院を紹介したはずだったが。
「どうされましたか?」。
「この前はありがとうございました。先生に紹介していただいて、市立病院の耳鼻科に行ったんですけど、やめちゃったの」。
「え、で、良くなりましたか」。
「あんまり。またひどくなったのよ。なんだか検査をしてお薬を頂いたんだけど、飲まなかったの」。
「えっどうして」。
「胃が悪くなるって言われたの」。
「誰に」。
「お友達よ」。
「その方は、お医者さんですか」。
「違うわ、ご近所の方よ」。
「言われたとおりにお薬飲まなきゃ、よくならないですよ」。
「・・・、先週くらいからまたひどくなったの、なんだか空気が抜けるような音がするのよ。ご近所で診てもらって、お薬を頂いたんだけど、効かないのよ」。と薬を見せてくれる。
「これはビタミン剤と安定剤ですね」。
「なんて言われたんですか」。
「はっきり言わないけど、これを飲みなさいって。N先生よ」。
「ああ、そうですか」。・・・
「先生、また好い所紹介してくださらない」。
「紹介したって、また薬を飲まないんじゃしょうがないでしょ」。
「今度は飲むわよ、頂いたお薬とこの薬を一緒に飲んでもいい」。
とまた別の薬が出てくる。強力な制酸剤だ。
「これどうしたの」。
「S胃腸科で貰ったのよ、胸やけする時飲んでいるの」。
「これなら、一緒に飲んでも大丈夫のはずですよ」。と自分の役回りを考えながら答える。「血圧は124/83でちょうどいいですね」。とちょっとは診察もしながら、川の向こうだけど良い先生ですからと信頼するM先生を紹介する。
これでおしまいかなと思っていると、すぐ戻ってきて診察室に顔を出す。
「先生、主人なんですけど」。
「ご主人がどうかされましたか」。
「此の頃、便秘するて言うんですけど、ほっておいて大丈夫かしら」。
「うーん、何とも言えませんねえ。一度いらっしゃるように、おっしゃってください」。
初めてにっこりして
「はい。そう言ってみます」。と踵を返してお帰りになる。
思わず看護師のAさんと顔を見合わせる。
後日、M先生から返事が来た。左耳に僅かな低音域の聴力低下がありますが、問題とは思えません。これからどうなるかと聞かれるのですが、初めてで前と比べられないので市立病院のデータがないと分かりかねますと、五回ほど繰り返し説明しましたが分かって頂けないようです。お薬は要らないそうで、お役に立てず申し訳ありません。
とんでもない。申し訳ないのはこちらですと心の中で呟く。
新作三回目の絵の教室に行ってきた。静物画は描きやすいのか割と早く進行する。どこがどう違う。分かってもらえる人には分かるはず。まあ、段々です。見ていてください。後、四,五回でなんとかなりそう、年内には完成するでしょう。
周りのおばさん達やお兄さんは秋の展覧会に出品するらしく、急ピッチで頑張っている。
僅か二人の叔父さんは取り残されているようだ。
Sさんも今度の**展に挑戦してみたら如何ですかと先生に声を掛けられる日が来るのだろうか?。
お米には銘柄産地等級がある。新潟特に魚沼産のコシヒカリに定評があり、倍くらいの値段が付いている。それにしては何処のスーパーに行っても山積みで、ひょっとして魚沼は新潟県よりも広いのではないかと地理上の大発見を報告したくなる。尤も、積んであるだけで高価なので、さほど売れないのかも知れない。
今年の作況指数は平年並みのようであるが、猛暑のため割れがあり一等米の割合が低いのだそうである。等級で値段が違うらしく、農家には打撃のようだ。ところが、たぶん本当だと思うが、割れによって等級が下がった今年の米の味は悪くないそうだ。と言うことはお値打ちで美味しいお米が食べられ、消費者には朗報だ。
よく指摘されてもなかなか是正されないのが野菜の形と値段だ。胡瓜が多少曲がっていても味は変わらないと思う。曲がった胡瓜の酢の物とまっすぐの胡瓜の酢の物を、目隠しして全部当てる人にお目に掛かりたい。どうして極端に見た目にこだわるようになったのか、否消費者はさほどこだわっていないと思う。中間の業者が差別化を図り主導権を握るために、こだわるようにし向けたのではと推測している。料亭でもあるまいし、不揃いの茄子や曲がった胡瓜で怒り出す家族が居るとは思えない。怒り出す亭主にはあんたもと言い返すことだ。
しかしまあ、こうした真っ当でない拘りは民族の力の衰退の兆しではないかと、大袈裟な感慨を持ってしまう。
川本三郎さんの旅のエッセイで四国の片田舎のバーで女性が・・・だといいけどと呟く。米長邦雄がその通りと言いそうだ。朝から余り脱線しないうちにこの辺で。