駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

あんまりだなあ

2010年10月06日 | 世の中
 小沢氏が強制起訴された。なんだかおかしい。怪しいと思われるとそれだけで起訴されてしまうことになる。あんまりだと思う。恣意的な特捜検察などとても信じられない。そうかと云って、市民感覚も、感覚に過ぎず、証拠と熟慮に基づいた判定なのか不明だ。煮詰まったので、判断と報道されているが、煮詰めると斉唱になりやすく、煮詰めるのでなく 理解して主体的に判断する種類の事と思う。たかだか11人程度の人数で、場合によっては日本の行方を左右するような重大な決定を下してしまう制度には非常に問題がある。
 こうなるとマスコミに感じの良い人と思われることが物凄く重要になってくる。思われるところが味噌で、実際の内容は二の次だ。恐ろしいことになってきた。
 大衆の心情は移ろい易く、付和雷同し、その判断は揺らぎやすい。小泉純一郎に熱狂していたのに、今では手の平を返したような批判の嵐だ。小泉改革は失敗、小沢はけしからんと言い募る人に原稿用紙五枚程度に、なぜどこがどのように駄目かを事実に基づいて書いて貰いたい。きちんと内容のある文章が書けなければ、悪口を云う快感に浸っているだけではないかと疑いたくなる。政治家の中にも、公費を貰いながら、同僚の悪口しか言えない人達が居る。
 政治は遠い他人事のように思っていると、直接自分の人生に跳ね返ってくるので油断ならない。自分で調べ、幅広い視野で考えてと訴えたいのだが、こうしたことが続けば、政治に嫌気が差して、自分の周りの世界が楽しければよいと云う心境になる人が増えるのではないかと懸念する。かくゆう私もそんな心地がしてきた。
 苦境の人に鞭打つつもりは毛頭ないが、小沢さんには有能な支持者や仲間が少ないように思う。溝板を歩いてきたと云われるのに、大衆の人気がもう一つだ(ないわけではない、菅さんよりはありそうだ)。やはり不徳の致すところがあったと、悪意あるマスコミをかいくぐって、外へ前へ出て素顔を見せながら活動するのが良いのではと申し上げたい。
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専門職に求めるバイリンガル

2010年10月06日 | 町医者診言
 バイリンガルといっても英語やフランス語を日本語のように操れというのではない。
 研修医を見ていると、経験が浅いので当り前だが、患者さんに説明するのが下手だ。 中には、女性医師が多いのだが、上手にわかりやすく説明できる研修医もいるのだが、極めて少ない。
 病院で上司に型どおり患者さんにわかりやすい言葉で話すようにと注意されているので、概ね言葉使いは易しく丁寧なのだが、専門用語をそのまま使ってしまうので、一般の人には理解しにくいのだ。簡単そうな炎症や腫瘍という言葉さえ、理解しにくいのを知らない。字面を見ても分かりにくい言葉を音だけで理解するのはもっと難しい。
 自分達が医学の教科書を開いた時、戸惑ったのを忘れてしまっている。そしてほとんどの患者さんは分からなくてもハイと返事をするので、分かってもらえたと勘違いして、改善に必要なフィードバックが掛かかっていない。
 胸部のレントゲン写真を見ながら、右の上葉に浸潤影がありますが、腫瘍ではなく炎症と思われますので心配はありませんと説明すれば、患者さんはハイと安心したように返事をするだろう。しかし、患者さんが理解したのは「心配ありません」。だけのことも多いのだ。
 というわけで、専門職には一般人に専門的な内容をきちんとわかるように話す技能が求められる。そのことをバイリンガルと言ってみた。
 臨床医には専門用語を患者さんにわかるような表現と言葉で、時には比喩を使って、説明する技能が求められる。勿論、二十年の修行を積んでも、あまりの理解力の低さや思いこみの強さに匙を投げたくなることがあるのは事実だが。
 大切なことは相手を理解することだけでなく相手に理解されることだ。それには専門用語を換骨奪胎して分かり易く使う、いわばバイリンガルの能力が求められる。そこから信頼も生まれてくる。
 これはたぶん医療の臨床現場だけでなく、他の専門職にも共通して言えることだと思う。
 
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