駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

言葉の危(あや)

2008年06月24日 | 診療
 冗談や軽口は親しみを増して楽しいものだが、通じないと気まずい雰囲気になって、冷や汗をかくことになる。
 72歳のTさんはもう4,5年通院されており、いつもはゴルフの評論などをされる穏やかな方だ。2年ほど前「藍ちゃんは伸びませんよ」と予言され、その通り?になったので感心していた。前立腺癌の心配がちょっとあったので専門医に紹介し、精密検査を受けられた。「先生、大丈夫でしたよ」。と笑顔で報告されたので、つい「悪運が強いですね」。と口走ってしまった。破顔一笑と思いきや、ちょっとむっとされたのがわかり、慌てて話題を逸らすことになった。難しい。
 親子が似ているとゆうのも、他愛ないようで結構要注意の話題だ。希だが実の親子でなくて似ていることがあったりする。よくそう言われますと、笑って済まされることも多いのだが、迂闊なことは言えない。実の親子で親に言う時はたいてい喜ばれて楽しい話になるのだが、お子さんにお父さんに似ていらっしゃいますねと感想を述べたら、決然とあんな人に似ていませんと宣言されて、しまったと思ったことがある。
 だいたい、医者は世間知らずとされているが、殊に勤務医はそうで、町医者になってようやく世間を知った気もする。教授の中にはついぞ世間を知らず、いつまでも威張っている方も時におられるようだ。これは脱線。
 とにかく言葉は微妙で、相手によって響き方も違うし、丁寧に使わなければならないと骨身にしみている。何の気なしに「またか」。とか「おかしい」。などと口走ると人によっては、もう来院されなくなる。過敏に注意深くなっても、つまらないので、虚心坦懐且つ丁寧を心がけている。それ以上はこちらも年だし、平生往生でご勘弁を。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医学の進歩と理解

2008年06月23日 | 医療
 週末から東京に出て、教育講演を聞いてきた。これは臨床医が常に新しい知識を取り入れて診療できるように、内科学会が会員向けに企画しているもので年に三種類計七回あるものの一つだ。認定医や専門医の資格更新の点数がもらえるためか毎回二千人以上の参加がある。いくつか新しい知見があったし、知識の確認もできた。
 マスコミの報道と現実とではかなり乖離があると推定される内容がいくつかあった。遺伝子治療などは、遺伝子という言葉が生物万能の鍵のように思われているせいか、随分いろいろなことができるように思われている節があるが、現実には応用範囲はまだ限られており、思わぬ(ある程度予想された)副作用も出ている。正常な遺伝子を病的細胞に運ぶのにベクターといわれる運び屋を使うことが多いのだが、これが悪さをすることがあるという。なんだか人間の社会に似ている。
 骨髄移植の現状なども、一般の人の理解は少し違うんだろうなと思って聞いた。骨髄移植の成績は病気の種類によりある程度異なるが、それでも抗癌剤の治療と雲泥の差があるほど優れているわけではない。それに同種骨髄移植(他人の骨髄を移植)にはドナーが必要になる。血縁者に適当な人が居ない場合、登録していただいている方の中からコーディネーターを介した選定作業が必要になる。迅速や特別はない。
 最近はNHKの教育テレビでかなりきちんとした医学番組を放送しているし、インターネットを使えば、ほとんど専門家と遜色ない情報を得ることも出来る。確かに以前よりは病気の理解が進んでいると感ずるが、個別の場合の適応や評価は素人には難しく、いざという時は掛かり付け医の説明が求められる。出番には活躍できるように、町医者も常に最新の知識を仕入れ、説明する技術を磨かねばなるまい。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それってひょっとして

2008年06月21日 | 医者
 私は特別優しくもなく親切でもない。しかし筋金入りの内科医だから、話を聞く。昔は話を聞くけど何もしない、何もできないのが内科医としたものだ。
 そうするといろんな患者さんが来て、いろんな話をする。
 お嫁さんの話。「お父さんがお酒を飲んで困る」。とお姉さんに言ったら、「男は酒を飲むもんよ、あんたが好きなように飲ませないから暴れるって、言われたんです」。と涙ぐむ。

 お兄さんの話。「この前の整腸剤飲んだら便秘したんだよ」。「普通、そういうことはないと思いますよ」。「胃腸科でもそう言われたよ。心療内科の薬のせいだって」。「下剤を出しましょうか?」。「胃腸科で貰ったから、いらない、じゃ」。とけんもほろろに席を立つ。

 60代の主婦。「頭重くって肩こって、つらいわ。90の母の世話して、そいで孫も見なきゃなんないでしょ」。「大変ですねえ、お孫さんの方は時々休ませてもらったらいいじゃないですか」。「二人とも帰りが遅くて、無理ね」。

 80代のお婆さん。「塩分は控えめにしていますか?」。「このごろ自分で作るのが億劫で、買って来ちゃうから」。「あれ、お家の人は?」。「別なの、嫁さんの方針なの」。

 なんだかどうも薬を処方しようにも、それに効く薬のないような訴え?が結構ある。性格の偏りは対処が難しいが、生活環境の問題はある程度介入によって是正可能で、介護保険を利用していればケアマネージャーなどと共同で話し合いを持つこともある。それができない場合は、結局話を聞くだけになる。
 日に数人ならいいが、こうした患者さんが続くと、こっちまで憂鬱になってきて海鼠に聞いてもらいたくなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノムさんの記録に思う

2008年06月20日 | 人物、男
 楽天の野村監督が1454敗の最多敗戦記録を達成した。たくさん負けて、不名誉ではないか、いえそんなことはありません。これは凄い記録です。1457勝というから僅かな勝ち越し、これはご愛敬ですね。なぜ凄いかというと、これだけ負けたのは実力の劣る球団の監督を長く続けたことを意味するからです。
 監督は自ら望んで就けるわけでもなく、続けられるものでもありません。球団幹部、ファン、マスコミ陣の三者の評価が絡んだ巡り合わせの末の座なのです。この三者の評価は単純なスカラーの和ではなく、ベクトルの足し算で出てくるらしく、しかもスポーツ関係者がスポーツマン精神に満ちているという訳ではありませんので、ベクトルの方向もなかなか定まらず、出てくる結果は予想外のことも多いのです。そうして長く監督を務めることができたのは凄いことなのです。なんだか監督本業のことを差し置いて、球界の事情を訳知り顔に書きました。もちろん野村監督が監督として優れた手腕の持ち主であることは申すまでもありません。
 なぜこんな見方を書いたかというと同じ捕手出身で優れた野球脳の持ち主V9陰の功労者森祇晶を意識したからです。森は打者としては野村に遠く及びませんが選手監督としての球団成績では野村を凌駕しており、監督としての手腕も劣らないと思います。しかるにその評価待遇はいかがなものでしょう。
 なにがそうさせたか、なぜ、そうなったか。それは野村の諧謔の精神のように思えます。
 付け足しですが、私は森をノムさんと同じように高く評価しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あすからの人

2008年06月18日 | 医療
 「あすなろ」は明日は檜になろうとして遂に檜になれない木の話ですが、「あすから」は明日からダイエットに励もうと自らに言い聞かせながら、今日は緩めて食べてしまうおじさんおばさんの話です。どちらも、いつまで経っても目標に到達できないところは似ていますが、構図は違っています。木は檜に成れないことを知りませんが、人はそれでは痩せられないことを知っているので、木はもの悲しく人は情けなく見えます。
 そうした感想は自然のようですが、別の見方もできます。可哀想あるいは虚しく感ずるのは、檜になれないと知っている他人の感覚で、知らないあすなろ自身は希望に生きているかもしれません。情けなく見えるあすから人は、実行こそできませんが、反省と意気込みと言い訳をない交ぜにしながらも目標を忘れず生きる善良実直な人なのかもしれません。
 希望と先送りは、それをどう評価するかはさておき、何があるか分からない人生を生きて行く二大技術だと思われます。二大方法あるいは二大知恵?と言ってもよいかもしれません。
 余命数ヶ月の患者さんが、治る希望を持っておられると気付いてはっと胸が突かれることがあります。十年一日、「ちっとも痩せませんねえ」。とおばさん患者さんを詰問したのはよいが「頑張っとるんやけど」。と笑顔で圧倒されて、二の句が継げないことがあります。それでもあすから人には、あの手この手で指導を続けます。あすなろと違ってあすからの方は目標に近づく人達も居るからです。いえ、たとえ効果がなくても続けることは希望に似て、町医者の神話なのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする