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駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

岡田ジャパン快勝

2008年06月02日 | スポーツ
 岡田ジャパン快勝!このブログのアドバイスをまるで参考にしたかような起用でオマーンを撃破。中沢の気迫のこもったゴールで波に乗れた。オマーンは出鼻をくじかれたようで、いいところがなかった。後半3点目を取ってから少しちぐはぐになったので要注意、もたつくと中東勢のカウンターを食らう。
 中村俊、松井、遠藤が利いていた。相乗効果というのか、相手の読みを外した動きとパスで中盤を支配し、いくつかチャンスを生んだ。特に松井の右からのセンタリングは決めて欲しかった。どうもまだ玉田大久保は欧州コンビのセンスについて行けないところがあるようだ。
 日本人監督の方が戦術と選手選択がわかりやすい。言葉が通じるが大きいのか、見ている方も感情移入しやすい。
 いくつかアドバイスをしておこう。香川はもう一つ、過大評価をしないように。今日の先発はベストなので、これを基本にすること。駒野長谷部は場合により阿部山瀬でもよいかもしれない。
 油断はできないが、日本の居ないワールドカップは避けられそうな予感がある。 岡田、ヨーシ!。
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先生と呼べる人

2008年06月02日 | 世の中
 ギョエテとは俺のことかとゲーテ言いではないが、つい一ヶ月前医学部を卒業して病棟に出た途端「先生」。と呼ばれぎょっとしたのを憶えている。同級生だった仲間を先生と呼びながら、俺とお前が先生?と大いに疑問に思ったものの、すぐ慣れてしまった。雑踏に石を投げれば先生に当たると言うくらいだから、単なる区別用語なのかもしれない。
 駆け出しの名ばかり先生はともかく、本当に先生と呼べる人は誰だろう。誰にも先生と呼びたい、先生としか呼べない人が居ると思う。多くの人にとって、それは小学校の恩師のような気がするが、どうだろう。自分も本当に先生と呼びたい第一は小学校の恩師だ。もちろん中学、高校、大学、社会人とお世話なった先達は多く、先生と呼べる方は何人もおられるのだが。小学校でI先生との出会いがなければ、今の自分はないと思う。何の見返りも求めず、とにかくこの子達を真っ当に育ててやろうと全身全霊を尽くされた。落ち着きのない子供だった私の中に、光るものを見つけ、伸ばしていただいた。心から感謝が溢れ、自然に頭が下がる。
 果たして今も二十四の瞳の大石先生のような先生が居られるだろうか?時が流れ教師の有り様は変わっても、きっと同じような心根の先生方が残っておられると思う。子供の目に輝きがあれば、それに応えられる先生が生まれてくると信じたい。
 人は人間に生まれるのでなく人間に育つ、孫達に良い先生との出会いがあるように心から願っている。
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