駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

あすからの人

2008年06月18日 | 医療
 「あすなろ」は明日は檜になろうとして遂に檜になれない木の話ですが、「あすから」は明日からダイエットに励もうと自らに言い聞かせながら、今日は緩めて食べてしまうおじさんおばさんの話です。どちらも、いつまで経っても目標に到達できないところは似ていますが、構図は違っています。木は檜に成れないことを知りませんが、人はそれでは痩せられないことを知っているので、木はもの悲しく人は情けなく見えます。
 そうした感想は自然のようですが、別の見方もできます。可哀想あるいは虚しく感ずるのは、檜になれないと知っている他人の感覚で、知らないあすなろ自身は希望に生きているかもしれません。情けなく見えるあすから人は、実行こそできませんが、反省と意気込みと言い訳をない交ぜにしながらも目標を忘れず生きる善良実直な人なのかもしれません。
 希望と先送りは、それをどう評価するかはさておき、何があるか分からない人生を生きて行く二大技術だと思われます。二大方法あるいは二大知恵?と言ってもよいかもしれません。
 余命数ヶ月の患者さんが、治る希望を持っておられると気付いてはっと胸が突かれることがあります。十年一日、「ちっとも痩せませんねえ」。とおばさん患者さんを詰問したのはよいが「頑張っとるんやけど」。と笑顔で圧倒されて、二の句が継げないことがあります。それでもあすから人には、あの手この手で指導を続けます。あすなろと違ってあすからの方は目標に近づく人達も居るからです。いえ、たとえ効果がなくても続けることは希望に似て、町医者の神話なのかもしれません。
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