駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

炎の秘密

2008年06月14日 | 
 ヘニング・マンケルの警察官シリーズを愛読している。クルト・ヴァランダーはマルチン・ベックを追い抜く予感もある。マンケルは児童文学にも優れた作品があるようで、その一つ「炎の秘密」を読んだ。アフリカのモザンビークが舞台。少女ソフィアが村はずれで地雷を踏んで姉と自らの両足を失いながら生き延び、健気に自立への道を模索する話。
 モザンビークという美しい響きをもつアフリカ東海岸南端の国の置かれた政治的状況と生活風土を背景に、悲劇的事故に遭遇した少女ソフィアの心の動きが手に取るように書かれている。理不尽な悲劇にどうしてと言いたくなるのだが、その前に生き延びなくてはならない。
 炎の秘密、読めばすぐわかるが、それは自分も知っている。人類の記憶に連なる秘密。今の子供達は焚き火をする楽しみを知っているだろうか。
 この話にはモデルとなる実在の少女がいるという。おそらく数百数千の似た境遇の少年少女がいるだろう。ソフィアのような運を持ち得ただろうかと想う。
 児童だけでなく大人にも読み応えのある良質な手触り、マンケルの幅広い力量に感心する。果たして日本のミステリー作家にこうした作品が書けるだろうか。
 ベックからヴァランダーでうかがい知るスウェーデンという国、一度行ってみたい。アフリカに魅せられた作者マンケル、どうしてと訝しみながら何となく分かる気もする。
 まだご存じない方にはヘニング・マンケルをお勧めしたい。エアボーンに一読、お気に召すでしょう。
 
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説明理解願い

2008年06月14日 | 世の中
 説明責任は一体どこまでを言うのだろう。後期高齢者というのは75歳以上で、呼び方にいろいろ非難はあっても、確かに認知症(痴呆症)や臓器障害(感覚器も含め)が急に増え始める年齢なのだ。その人達に医療制度の改変を説明するのはとても難しい。昔、てんやわんやの漫才だったか、説明が堂々巡りをして説明する方がイライラして最後には泣き出しそうになるのがあったと思う。
 医者はちっとも偉くないし、偉そうにしていない?のだが、医者の説明にはよくわかっていなくても取り合えず「はい」。と言ってにっこりする。診察室を出るとおもむろに看護婦に説明を求め、ここである程度理解?できたような気がするらしい。確認のため?受付でだめ押しの説明を求める。わかったつもりで医院を出るとどうもよくわからない気がして、薬局で説明を求める。今度は聞かれた方が何の話か良く分からず、受付に問い合わせがくる。次の後期高齢者に説明しているところに電話がかかってきて、受付は私は聖徳太子ではありませんと思うらしい。
 伝言ゲームではないが、質問も説明の仕方も少しずつ変わるので、ものごとを上から俯瞰する能力が低下している高齢者には、繰り返す説明が有効に働かず、なかなかわからないということになるらしい。
 しかし、よくしたもので最後に奥の手がある。それは隣の婆さんや爺さんに聞くという方法だ。そうすると不思議なことに一知全解?となる。わかんなくてもちょっとおかしな説明でも、納得できれば満足されるようだ。
 多少脚色したが、実際に見られる現象で、おそらく多くの医院でも起きていることだと思う。愚痴を言っているわけではない。厚労省の方に解っていただきたいだけ。説明責任の元締めのような気がするので。


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