駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

紅茶とコーヒー、その二

2008年06月17日 | 旨い物
 朝の光、コーヒーとトーストの香り、かすかに食器のぶつかり合う音。これが良いホテルの朝食の三兆である。どんなに一流といわれるホテルでも、これを欠かしては駄目。超三流ホテルでも、これが揃えば合格というくらい大切な三つ揃いだ。
 香りの良いコーヒーは十中八九美味しいものだ。朝はやや浅い焙煎で苦みが少なく、たっぷり飲めるのが宜しい。色も大切で、深みのある琥珀色がカップの縁に沈むように少し透けているくらいがいい。そのためにカップは白、少なくとも内側は白くなければならない。
 三十年前、東海岸のダンキンドーナッツはワールドファイネストコーヒーと称して、確かに美味しいコーヒーを提供していた。これは30分以上作り置きをしないルールで、アメリカンを紙フィルターに落とすもので、ピンクの制服ミニでちょいとセクシーなお姉さんがレギュラーといっても大振りの紙カップをにっこり「はいどうっぞ」。と渡してくれたものだった。甘いドーナッツに良く合って、絶妙のコンビネーションだったのだが、メタボの一因間違いなしなので、今は変わったのだろうな。
 京都オークラや白金の都ホテルのコーヒーは合格だが、希に香りが乏しく今日はもう一つのことがある。シンプルな分、紅茶コーヒーは一定のレベルを保つのが難しいのだろう。
 美味しい紅茶を入れるにはポットで良い葉を十分使い、たっぷりお湯を注ぐよりない。慌てて飲んでは駄目で、葉によって違うが少なくとも一分は待たねばならない。時間が経つと渋くなるが、それも一興でちょっとお湯で薄めればそれはそれで美味しい。もし昼間でケーキも一緒にというのなら、コーヒーよりも紅茶をお勧めする。相手を殺さず、相乗効果がある。
 紅茶に浅いカップを使うのはストレートやフレイバーティ用で、ミルクティには深め大振りのものをお勧めする。ミルクティは喉越しを味わうものだから。
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星出さん

2008年06月16日 | 人物、男
 最近は日本の宇宙飛行士も増え、毛利さんや向井さんのように詳しい人物紹介は報道されず、こちらも気に留めなくなった。今回飛行した星出さんも星が付くから北関東から福島辺りの人かなとは思う程度で興味はなかったが、帰還後目を輝かせて「火星にも行きたい」と語る、という見出しを読んで嬉しくなった。
 たぶん、今までの宇宙飛行士の方にもこうした性向があったと思うが、「火星にも行きたい」。という人はまさに人類に欠かせぬ宇宙飛行人種なのだ。
 いつもヨーロッパの教会や日本の五重塔などを仰ぎながら、誰があんな高い所に登って工事をしたのだろう、凄い人がいるなと思っていた。とにかく誰かが数十メートルの高所で工事をしたはずだから。
 友人達と数百メートルの山に登ったり、数多くの患者さんを診てきて、高所や手術などの危険に冷静に対処できる一群の人達が居るのを知った。勿論、訓練で高所はある程度慣れることが出来るが、生来平気という人々がいる。遺伝子の仕業と思う。病気とは関係ないようなので、あまり研究はされていないと思うが。
 その人達はどちらかというとやせ形筋肉質、無口で優しいが、対人関係の技術は拙く、大勢の前で演説するのは苦手といった特徴を持っているように思う。どちらかといえばリーダーよりもフォロワータイプが多い。
 逆にやや肥満傾向で口数が多く社交的な人は高所や肉体的な危険に恐怖を覚える比率が高いように観察している。ちなみに優れたリーダーはどちらにも秀でているのだろうと思う。
 これは全く個人的な観察から得た法則なのだが、かなり信憑性がありそうだ。女性はよくわからないが、男の10ー15%位にこうした人達が居そうだ。人類生存に欠かせぬ人々と思っている。
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炎の秘密

2008年06月14日 | 
 ヘニング・マンケルの警察官シリーズを愛読している。クルト・ヴァランダーはマルチン・ベックを追い抜く予感もある。マンケルは児童文学にも優れた作品があるようで、その一つ「炎の秘密」を読んだ。アフリカのモザンビークが舞台。少女ソフィアが村はずれで地雷を踏んで姉と自らの両足を失いながら生き延び、健気に自立への道を模索する話。
 モザンビークという美しい響きをもつアフリカ東海岸南端の国の置かれた政治的状況と生活風土を背景に、悲劇的事故に遭遇した少女ソフィアの心の動きが手に取るように書かれている。理不尽な悲劇にどうしてと言いたくなるのだが、その前に生き延びなくてはならない。
 炎の秘密、読めばすぐわかるが、それは自分も知っている。人類の記憶に連なる秘密。今の子供達は焚き火をする楽しみを知っているだろうか。
 この話にはモデルとなる実在の少女がいるという。おそらく数百数千の似た境遇の少年少女がいるだろう。ソフィアのような運を持ち得ただろうかと想う。
 児童だけでなく大人にも読み応えのある良質な手触り、マンケルの幅広い力量に感心する。果たして日本のミステリー作家にこうした作品が書けるだろうか。
 ベックからヴァランダーでうかがい知るスウェーデンという国、一度行ってみたい。アフリカに魅せられた作者マンケル、どうしてと訝しみながら何となく分かる気もする。
 まだご存じない方にはヘニング・マンケルをお勧めしたい。エアボーンに一読、お気に召すでしょう。
 
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説明理解願い

2008年06月14日 | 世の中
 説明責任は一体どこまでを言うのだろう。後期高齢者というのは75歳以上で、呼び方にいろいろ非難はあっても、確かに認知症(痴呆症)や臓器障害(感覚器も含め)が急に増え始める年齢なのだ。その人達に医療制度の改変を説明するのはとても難しい。昔、てんやわんやの漫才だったか、説明が堂々巡りをして説明する方がイライラして最後には泣き出しそうになるのがあったと思う。
 医者はちっとも偉くないし、偉そうにしていない?のだが、医者の説明にはよくわかっていなくても取り合えず「はい」。と言ってにっこりする。診察室を出るとおもむろに看護婦に説明を求め、ここである程度理解?できたような気がするらしい。確認のため?受付でだめ押しの説明を求める。わかったつもりで医院を出るとどうもよくわからない気がして、薬局で説明を求める。今度は聞かれた方が何の話か良く分からず、受付に問い合わせがくる。次の後期高齢者に説明しているところに電話がかかってきて、受付は私は聖徳太子ではありませんと思うらしい。
 伝言ゲームではないが、質問も説明の仕方も少しずつ変わるので、ものごとを上から俯瞰する能力が低下している高齢者には、繰り返す説明が有効に働かず、なかなかわからないということになるらしい。
 しかし、よくしたもので最後に奥の手がある。それは隣の婆さんや爺さんに聞くという方法だ。そうすると不思議なことに一知全解?となる。わかんなくてもちょっとおかしな説明でも、納得できれば満足されるようだ。
 多少脚色したが、実際に見られる現象で、おそらく多くの医院でも起きていることだと思う。愚痴を言っているわけではない。厚労省の方に解っていただきたいだけ。説明責任の元締めのような気がするので。


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正常値とはどこか

2008年06月13日 | 診療
 病気の診断には血液検査が必要なことが多く、医学生や研修医は色々な検査の正常値を頭に叩き込まなければならない。今もあると思うが昔は教授の回診というのがあって、医局員がぞろぞろ20人ばかり金魚の糞よろしく教授の後を付いて回ったものだ。受け持ち医というのが、教授に患者の病態をカルテを見ながらプレゼンテイションする。今から思えば教授もどこまでわかっていたのかなと思うところもあるが、当時は何でも知っている神様のように思っていたし、何より恐かったので皆非常に緊張した。手に持ったカルテが震えている者も居たように思う。印象に残っていることはたくさんあるが、正常値のことを書いてみたい。
 何の患者だったかよく覚えていないが、診察後廊下に出た時、教授は何を思ったか突然受け持ち医に「君、カリウムの正常値はいくつだ」。と聞いた。
 「はあ、4.5です」。「4.5?」。「いえ4.2です」。「馬鹿者」。今ではおそらく滅多に聞けない言葉だと思うが妙に懐かしい。間違っていないはずなのに、なんて言って答えたらいいのか、Y君はしどろもどろになってしまった。教授は「4.0から5.0くらいだろ、幅があるのが正常値さ。生きている人間の正常値が点の訳はないんだよ」。と破顔一笑、何事もなかったかのように回診を続けた。確かに個体差、日内変動、季節変動、測定誤差と様々な揺れの中に正常値(域)は存在する。ある範囲を大掴みにつかんだ方が正確なのが生体というものの理解なのかもしれない。たぶんそうしたことをおっしゃりたかったんだと思うが、もう真意を聞く術はない。
 爾来、返されてくる患者の検査結果を見ながら、単に異常正常と振り分けず、一体この数値群は何を告げているのだろうと考えるようになった。
 
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