駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

つきまとう副作用に

2016年10月08日 | 人生

       

 乳がん専門のT先生、いつもは冷静温厚な人なのだが、当院から術後の経過観察に通っている患者さん達の話では、最近不機嫌でとりつく島もなく、いらいらしているらしい。患者さん達は戦々恐々としているそうだ。

 なぜか、それは普段の二倍も三倍もの患者が押し寄せ、医者にしてみたら過剰な心配奇妙な訴えを聞かされ、昼飯を食べる間もなく朝から午後三時過ぎまで働かされるからだ。

 過剰な心配奇妙な訴えと言えば、患者からは何を言うのと抗議が溢れるだろう。しかし医者にしてみれば、なぜ急にそしてがんは乳がんだけではありませんよと言いたくもなる。幸い?日本人は忘れっぽいから、三ヶ月もすれば異常な混雑は解消されると思われるが、病院に限らず過剰な需要に対する供給には限度がある。そうして、無理な負荷には劣化が伴う。

 同業者と言うこともあるが、とても不機嫌になったT先生を責める気にはなれない。

 副作用というのは本来の作用に対して使われる言葉で、望ましくない作用としても本来の作用に比べればやむを得ない程度のものだ。ところがマスコミの中には副作用の方が大きい報道も多いように感ずる。

 苦しく理不尽のようでも、幸運を望む人間は現実には不幸を受け入れる心も持っていないとと申し上げたい。思いがけなく辛い、それは紛れもない人生の断面で、そこに現れる様な気がしている。

コメント
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