駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

見えないものから見える

2016年10月28日 | 人生

      

 今朝は曇天でやがてハロウイーンにしては生暖かい。日本化した欧米の行事は数多い、ハロウイーンも十年前までは「ふーん」という程度の行事?だったと思う。商魂にネットが絡み、仮装の面白さが若者の心を捉えたのだろう。ハロウイーンはIoTではなくToTなのだが、日本では換骨奪胎、夜の街では別の形を取っているようだ。

 昔の人は、江戸と背中を見て死にたいと言ったらしい。江戸はともかく背中は見ることが出来ない。その見ることができないものがあなたの秘密というほどではないが真実を語っている。後ろ姿の告げるものにはっとすることは多い。つい先日も平凡だが、Fさんも年を取ったなあと思ったことだ。

 高々二ヶ月ぶりに会ったのだが、どうも膝が痛くてねと微かに足を引きずりながら去って行く後ろ姿にお爺さんを感じた。六月一杯で全ての役職を辞められ、漸くのんびりだよと聞いたのだが、残務の整理を終わり悠々自適となると老けるのかなと、ちょっと残念というか寂しく思った。Fさんは五歳年長の企業戦士で海外勤務も長く、世間の狭い市井の医者にあれこれ異業種異文化の話を聞かせてくれる。まだまだ頭脳明晰で電気通信関係の最先端の技術を解説してくれ、一応成る程と聞いている。全部きちんと理解出来なくても面白く為になる。塗装業のKさんなどは何にもわかんないと言いながらもニコニコと聞いている。

 自分の後ろ姿を見ることは出来ない。ちょいと年を取った、駄目だなあとまだまだを行ったり来たりしながら、現役を続けている。それこそ十年二十年通っている患者さんは、一緒に年を取って行くので、私の老化に気付かないようだ。私の方は杖を突かれよっこらしょと立ち上がって診察室を出て行く後ろ姿で年月を感じる。共に歳を取るといっても十五年二十年年長の患者さんは一人又一人と欠けて行くので、いつまでもとは行かないのだと気付かされる。

コメント
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