昨日は日曜日といっても、かかりつけ医の研修会で7時間缶詰で講義を聞かされた。日本医師会内科学会臨床内科医会・・、など各々勝手に?これからの医療を仕切ろうとお互いに被る制度を始めている。重なっているじゃないかと抗議をしたら、中央の指令通りにしているだけで、ほかの会のことは知りませんでした。伝えておきますと恐縮していた。何とか整理できないものか。
知らないあるいはよく知らない人物をしばしばウイキぺディアを使って調べる。今までは読んで、なあるほどとわかった気になっていたが、どうもそうでもないのに今頃気付いた。
というのはよく知っている、と言っても作品をよく読んでいるに過ぎないが、本の世界の隣人先輩友人を何の気なしにウイキペディアで調べてみたら、何だか違う人のことのような知らない人のようなことが書いてあった。履歴が世間的重要事項に沿って並べられており、えっこんな人だったのと違和感を覚えた。私の培ったイメージと違うのだ。どちらが正しいなどと議論しても始まらない。私には私の抱いている人物像が本当なのだ。現実の親しい友人、もっと踏み込んで配偶者にさえ、知られざる一面はあるかもしれないが、それは多くの場合、驚くことはあっても受け入れられるものだろう。
しかし、どの人物の項目もそうという訳ではないかもしれないが、ウイキペディアの違和感は軋む受け入れ難いものだった。
ウィキペディアの伝えるものはどうも話半分がよいところのようだ。だからと言ってウィキペディアの価値が下がるわけではない。己の判断が世に絶対という訳でもない。勿論、真にプライベイトの世界は不可侵には肯う。