連休の休診中に通院中の患者さんが二人亡くなっていた。お二人とも八十代前半で、認知症があった。Fさんは女性で認知に加え、ご不幸が重なり、鬱っぽく最近元気がなかった。Kさんは男性で奥さんの手厚い世話があり、付き添われて通院されていた。
お二人とも朝起床時にはいつもと変わりなかったようだが、数時間後意識がない状態で発見され、救急車で運ばれたが亡くなったと病院と家族から連絡があった。
Fさんには高血圧の他に糖尿病があり心筋梗塞の既往があった。どちらも比較的良好にコントロールされていたのだが、家庭の不幸が重なり半年ほど前から、生きる意欲が感じられなくなり、独り者の息子さんと二人暮らしになってからは通院も途切れがちだった。連絡が取れず、どうしたのだろうと看護師と二人でわざわざ家を探し当てて診に行ったこともあった。今回の不幸な転帰も病院からの連絡で判明した。診てくれた医師の手紙には心疾患死と考えるとあった。おそらくそうだろうと読みながら、重なる不幸に生きる意欲を失ったせいもあるのではと思った。世の中には運の悪い方が居られる。3年前に同郷で共に引っ越してきた夫を亡くされ次いで頼りにしていた娘さんも亡くし、息子さんは悪い人ではないが話し相手にはならないので途方に呉れた様子だった。
Kさんは高血圧と軽度の慢性腎不全があり二十年前から通院されていたが、五、六年前から始まった認知症がかなり進んできていた。元気な方ではきはきとよく話すのだが、五分後には話の内容を憶えておらず、いつも奥さんに付き添われて来院されていた。奥さんからの連絡では、亡くなった当日も朝は元気に起きてきたのだが、朝食後部屋から出て来ないので見に行ったら虫の息だったという。救急車と病院で蘇生を試みたが、二時間後に亡くなったとのことだった。長い間ありがとうございましたとお礼を言って戴いた。
今のところそうした概念はまとまっていないようだが、心不全や腎不全と同じように脳不全という死因があるような気がする。明らかに高次脳機能の低下が大きな引き金になる死亡があると思う。サルコペニアとかさまざまな老化に伴う現象を捉える概念が出てきているが、認知も生命の予後不良を予見する徴候と診ている。