本屋で目に止まったのでつい買ってしまった「ゆかいな仏教」サンガ新書60は、「不思議なキリスト教」よりも面白かった。橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対話議論によって、仏教が解説されて行く。キリスト教の時は、お二人の興味主体な部分を、やや批判的に書いた記憶があるが、仏教の場合は洗礼も無く選良的なところもないせいか、興味主体を理解探求志向と感じ、不遜に感じることはなかった。
キリスト教よりも身近なはずの仏教の方を実はもっとよくわかっていなかったのだと思い知らされた。覚っていないはずのお二人だが、どうも橋爪さんの方は相当に覚っておられるようで、空白の中心を上手く説明されているように感じた。絶対の神と悟った人間の通底と対比から、紡ぎ出される解説に成る程そうかと分かった?。
しかしここに語られている仏教の中身は今何処に見出すことができるのだろうかという気にもなった。方便に寛容な仏教はどうも日本では融通無碍に拡大というかご都合解釈がされているような気配を感じる。バカボンの親父は「それでいいのだ」と言っているようだが。
どうも卑近な比喩や例が飛び交い、軽い読み物のように評価する人もいるだろうが、私には深いところに届いている対談議論に思われた。主知的過ぎるという批判はあるかもしれないが、畢竟仏教は世界を理解したい病の良薬なのかもしれない。信心はむしろキリスト教の方で仏教は覚り(世界理解?)への収斂を教えるもののように受け止めた。
私的には覚りは素粒子の心のようなものに見えるが、見えると思うと見えなくなるものらしい。