駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ノー婆さん

2014年12月05日 | 診療

          

 初診では風邪のようでも一通り食習慣家族歴などまで聞く。それこそ寿限無寿限無と同じで、言い慣れているのでどんどん定型質問が口から出てくる。

 喉が痛くて鼻水が出るという女性が来られた。初診である。七十七才だからまあ、婆さんと呼んでもよいお年頃、

 「たばこ、吸いますか」。

 「ノー」。

 「アルコール」は

 「ノー」、なぜか突然英語?で答える。なんだね、この婆さん帰国子女でもあるまいし、と思ったのが分かったのか次からは日本語で答える。ノーというのは婆さんに取っては日本語だったのか、病気に関係ないことを聞くので、そんな質問はノーサンキューという意味だったのか。よく分からんが、繁忙期にリズムを狂わせるるようなお返事は有り難くない。

 まあ、医院に限らないだろうが、初めての患者さんには気を付けなければならない。勿論、二回目三回目とだんだん本性が現れる人も居るが、それはそうだったのかと合わせてゆける。初診は虚を突かれることがあるので要注意なのだ。何か変だと感じたら、たとえ風邪でもしつこく既往歴通院歴を尋ねなければならない。四、五年に一人くらい怒り出す人がいる。怒って支払いもせずに帰ってしまった人も二、三名おられる。

 悪評が立とうが譲れない線もある。喩え風邪でも細かく病歴を聞くことと上半身を裸にすることだ。開院当初は妙齢の女性でも初診時は上半身裸にして診察していたが、流石にあそこはという芳しくない噂があると通院中の患者さんから注意されたので、今は女性の場合はブラジャーを付けていても良いことにしている。

 そうすることで防げる失敗は五百人に一人くらいのもので、こだわらない医師も多いだろうが、先達の教えは守るようにしている。

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患者の質問にどう答える

2014年12月05日 | 診療

              

 患者さんとありとあらゆる話をするのだが、肝心要は病気の事で生活習慣の指導や治療方針など、できるだけ最良となるようにお話ししている。素直な方が多いのだが、難しい患者さんも居られる。難しい患者さんも色々あって、理解力の乏しい方、我が儘な人、自分の考えの無い人、自分の考えを譲らない人、情に流される人 絡むのが趣味?の人・・・と多士済々だ。幸いこういう患者さんは十人に一人二人だから、なんとか対応ができている。

 判断が難しいのが医学的な妥当性と患者の希望を天秤に掛ける時だ。そんなものは医学的妥当性に決まっているだろうといわれる方は人間相手のお仕事ではないだろう。こうした時の判断は医師によってもさまざまで、しかも一貫性に欠けるところが出てくる。私はこうしているという自信ありげな医師も二十回に一回くらいは患者の方正しかったということがあるはずだ。

 まあそうしたわけで、判断の絶対の正解を見つけるのは難しい。どうしても相性というか時の運というべきものもいくらかは混入してくる。どちらかと言えば自信ありげな医師を好まれる患者さんが多そうな感じはするが、正解率が高いからと言うよりも患者側が楽だからだろうと推測する。

 先輩というものは本当に有り難いもので四十年も前、出張病院でのことだが、貴重な指導をして貰った。

 「患者にどうすればと聞かれた時、医者はわからないとかどっちでもいいと言っては駄目だよ。はっきりとは言えなくても何らかの指針をや方向を示してあげなさい」。もう亡くなられたが、M先生はその時五十代の内科部長だったと記憶する。以来あまり自信ありげではないが、なにがしかのアドバイスをするようにしている。

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