駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

百聞は一見に如かずでもない

2014年12月22日 | 診療

             

 今朝も寒い、幸い風がないので体感温度はさほどでもなく、手袋をして早足で駅までやってきた。いつもスカートのお姉さんが今日はスラックスでホームに立っていた。今年の仕事もあと五日、光陰矢のごとし。一年が早いねえと何度も聞く毎日だ。

 最近とみに疲れを感ずるのは高齢難聴者の診療である。答えのタイミング内容の合理性顔付きなどから、聞こえていないあるいは分かっていないと判断して大声を出したり、看護師が耳元で伝令をしたりして手間取る。高齢者は礼儀正しく相手のことを考える人が多いから、手間を取らせまいと適当に分かった振りで腰を上げそうになるのでとても気を遣う。

 私は応援団に居たわけではないので、大声を出すのは得意ではなくくたびれる。大声を出すのにはエネルギーを使う。それに後がつかえているのでイライラもする。其処へ行くと目の不自由な方は手間取らず、殆ど目の見える人と同じように診察できるので困らない。差し障りがある指摘かも知れないが目の不自由な人の方が耳の不自由な人よりも、感覚が普通でよどみなく診療できる。

 百聞は一見に如かずというのは、伝聞は実体験に如かずの意味だろうと思う。確かに目からの情報量の方が耳からよりも多いようだが、コミュニケーションに生きる人間の常識の醸成には耳からの情報の方が大きく関与しているようだ。それは言葉の力だと思う。

コメント (2)
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