駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

近くて近い国、台湾

2013年10月17日 | 

                 

 四半世紀前に看取ったMさんは可愛いお婆さんで、Mちゃんと呼ばれ看護婦の人気者だったのだが、いつも台湾は好い所だったと話していた。「果物が美味しい」くらいしか、内容を確認しなかったのは迂闊だった。

 異業種の友人達と台湾に行ってきた。時間がないので台北周辺だけだったのだが、なぜMさんが台湾が良いところだと言ったのか、少し分かったような気がした。勿論、Mさんの知っていた80年前の台湾と今の台湾ではかなり違っているだろうとは思うが。

 まず、台湾人と中国人は違うらしいと気付かされた。まあ台湾人と中国人という表記そのものが、微妙でいろいろ政治的な見解が入り乱れる所のようだが、平均的日本人の単純表現と許していただこう。中国本土には行ったことがないので、片手落ちの感想になるのだが、中国本土旅行記から受けている中国人のイメージと台湾人は違った。

 とても親切で礼儀正しい。中高年というよりも特に若い人にそれを感じた。電車の列はきちんと並ぶし、疲れた我々のような高齢者を見るとさっと席を譲ってくれる。一度ならず二度三度、G氏は感激して台湾を見直さなくてはとしきりに感心していた。2歳若いF氏の方はそんな年寄りに見えるかなあと複雑な顔をしながらも、喜んで座っていた。私も二度ほど席を譲っていただき、高々十五分とはいえ有り難く腰掛けてホテルに戻ったものだ。綿密な計画を立てるのが得意で大好きなM氏はホテルの選択を間違え、地下鉄で直ぐだからと言い張り三重区に宿を取ってしまったのだ。いい年をして丸みが足りない小生は、何でそんな不便なところにホテルを取ったのと言うツアーガイドの指摘に溜飲を下げた。

 台湾語はシェーシェーしか出来ず、唯彼等彼女らの顔を眺めていただけなのだが、台湾の人は余計なことを考えず日がな一日生活して行くことに取り組んでいる気がした。そうかといって、ぎすぎすした感じはなく、これが南国情緒なのかなとも思ったりした。

 台湾女性にはいろいろな顔立ちがあり、人種差なのかなと思ったが、臆せずにこやかで概ねスタイルが良く、おじさん達はツアーガイドにいいねーを連発していた。おばさん達には患者さんにそっくりな人がたくさんおり、何でこんな所に居るのと声をかけたくなるほどだった。

 大国のエゴの狭間で宙ぶらりんの台湾、明らかなアイデンテティを持っていると感じた。自立できる力もあると見た。どうして人間は隣人に優しくしてあげられないのだろうか。ああいいよというのが、大人でしょう。

コメント (4)
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