駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

其処此処に厳しい現実

2009年07月24日 | 世の中
 若い人は当然、中高年もさほど自分がどのような死を迎えるか考えていないだろう。勿論、自分がどんな原因で死ぬかはなかなかわかることではないが、どういった状況でどんな風にはある程度予測できると思う。まあ、そうした予測ができる人はこうしたことにならないのだろう。
 そう多いことではないが、高齢で身寄りのない一人暮らしの患者さんが徐々に衰弱してゆかれると途方に暮れる。名前は言えても年齢は分からない、支えがないと歩けない、食事はこぼす、排泄は意あるも失敗の連続。 
 実際には全く身寄りのない方はほとんどおられない。正確には身寄りが逃げてしまうのだ。兄弟が知らんぷりどころか、中には実子もさまざまな事情はあろうが、手を差し伸べてくれないことがある。確かにほとんど寝たきりの老人の世話は大変なことだとは思うが。
 私の住んでいる地区の行政はきちんとしていて生活保護で手厚く資金面の面倒は見てくれる。結局、ケアマネさん、ヘルパーさんそして時に訪看さんと協力してデイケアに頼み込んだりして、何とか面倒を見て行くことになる。言葉はきついが厳然とした事実として存在する世の吹きだまりに立ち会うと言葉を失う。
 ぼうぼうと吹きすさぶ不運と貧困の風の中には自業自得の罵声も混じって聞こえる。文字通りの陋屋に立ち、思案投げ首で手をこまねく私の眼に、たまたま担当になったというだけで迷わず手を差し伸べる優しい人影が写る。
 私は何処にもいる町医者なのだが、時折この極東の島国の森羅万象から十万億土に吹きすさぶニュートリノだろうか重力波だろうかの風に摩尼車がカラコロと回っているのが見える気がする。
コメント
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