駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

疲れやすさの薬

2009年07月21日 | 身辺記
 非常にゆっくりそして微かにではあるが、疲れやすくなった。疲れやすいというのには二つの現れ方があって、第一は実際に動いている時に休憩を取りたくなること、もう一つは疲労回復が悪いというか遅くなることだ。
 疲労回復が遅れるようになったことには薄々気が付いていた。先輩や晩年の父の姿から、これは年齢のせいだろうと自己判断している。どうも神様が決めた一週間に一度の休みでは十分疲労が回復しない感じがするようになった。土曜日は半日にしているが、可能なら週二日休みたい。(尤も丸二日休むと疲れは取れるが月曜日仕事に行きたくなくなって困る)。
 患者さんは診療時間が終われば休みと思っている方が多いのだが、実は診療時間が終わっても勉強会、講演会、医師会の仕事などが細々とあり、夜八時前に帰れるのは週二日ほどだ。
 敬愛する川島先生が素晴らしいことを言っておられた「夜、働くのは愚かですよ」。ははあ、それだと悟り、これからはできるだけ夜の仕事をさぼろうと思っている。医師会の仕事も律儀にこなしてきたが、某先生のように半分出ればよいのです式にしよう。よく考えればもう六十を過ぎているので、これから余技はともかく本業で大仕事するのは無理で、好きなことをやれば良いはずなのだ。困ったことにそう言い聞かせないとさぼれない典型的日本人性格(本当?と半畳が入いりそうだが)に生まれついた。
 夜や休日は働かないで、好きなことをする。これが疲労回復の秘訣のようだ。さて、できるかな。
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医師の進む道

2009年07月21日 | 世の中
 医学部を卒業し医師免許を得、研修を始めると行く手には三つの道がある。大学に残って研究と教育に携わる道、総合病院に勤務し急性疾患や高度医療を必要とする患者を診る道そして開業して住民の中にあって慢性疾患や軽症の急性疾患を診る道だ。この他に数は少ないが行政に携わる医師もいる。(cf.医師への道
 例外はあるが大学から総合病院そして開業への道は概ね不可逆的で、殊に一端開業すると大学や総合病院に戻ることは難しい。
 大学に残るには業績が必要で、あるレベルの論文を書いて行かねばならない。論文を書くには知的好奇心、知的能力と少しの幸運そして多大な作業が必要で、誰にもできることではない。そうした才能と業績のある人が選ばれて教授になってゆく。
 ただ患者を診る能力と研究能力は同じではなく、学問的に優れた教授がいつも優れた臨床医とは限らない。そのために患者を診る能力が優れた臨床教授を置いている大学もある。
 総合病院は各診療科が揃い、急性疾患や高度医療を要する患者に対応しているが、その規模背景で内容にかなり差がある、大学病院に近いレベルから開業医に毛が生えた程度まで。いずれにしても、そこで働くには組織の一員として機能することが求められ、組織人としての心得が要求される。
 開業医は小さくとも一国一城の主で、上司や部下との関係といった組織人としての煩わしさはなく自分の希望するスタイルで診療することが可能だ。しかし、実際には商店やレストランと同じく内に従業員を抱え、外にお客さん(患者さん)の評判がありで、医療以外に経営者としての苦労があり、城主だとふんぞり返っていてはひっくり返る。。
 こうして医師は自分の適性と生き甲斐を考えながら診療内容と生活スタイルを選択して、三つの道のいずれかを選んで行くわけである。そこには道を譲る知恵(教授の芽はなさそう、院長の芽はなさそう)や年齢の自覚(気力と体力の衰え)や利己願望(収入や時間)などの要素も複雑に絡んでいる。
 
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